2025年11月号 わたしの勉学時代 大分大学長 北野 正剛先先生に聞く

国立大学法人大分大学が目指すのは、地域の課題を解決し、持続可能な社会の在り方を提案できる“地(知)”の拠点。インテリジェンス・ハブの役割を果たすために《大分大学ビジョン2040》を掲げ、「教育」「研究」「医療・福祉」「地域貢献」の各分野で未来社会につながる進取的な取り組みを行っています。北野正剛先生は“改革なければ明日はない”の信念のもと、地域社会と大学の発展のため、全学的に様々な改革を実践されています。

【北野 正剛(きたの・せいごう)】
1950年生まれ。和歌山県出身。医学博士(九州大学)。
76年3月九州大学医学部卒業後、同大学医学部附属病院医員(第二外科)。81年九州大学大学院医学研究科修了。同年福岡市立第一病院(外科)、国立療養所福岡東病院(外科)。83年ケープタウン大学(外科 Senior consultant doctor)。88年九州大学医学部附属病院講師(第二外科)。90年済生会八幡総合病院外科部長。93年大分医科大学医学部助教授(外科学講座第一、科長代行)、96年同大学医学部教授。2003年大分大学医学部教授。11年大分大学長に就任、現在に至る。専門は消化器外科、内視鏡外科、消化器内視鏡。

小学4年生までは劣等生

 私は、母親からしょっちゅう「少しは落ち着きなさい」と言われるほど、見るもの聞くものに興味がわいてちょこまかと動きまわる、そんな子どもでした。生まれたのは紀伊半島の南端、和歌山県の串本町です。家から200mほどのところに海があり、友達とよく海水浴や磯遊びをしました。建設業に従事していた父親の仕事の関係で大阪に移ったのは小学3年生の時。その後、小学校は6回も変わりました。
 転校の度に苦労したのは、勉強です。学校によって授業進度が違ったので、教わっていない内容がテストに出るとお手上げ。特にひどい点数だった分数のテストのことは、今でもはっきりと憶えています。4年生を終えるまでは本当に劣等生でした……。ですが、福岡県の小学校に移った5年生の時に転機が訪れました。なんと、担任の先生が週に2回、家庭教師として家に勉強を教えに来てくれたのです。母親が直接先生にお願いしたそうですが、今では考えられませんよね。おかげで成績はどんどん上がりました。

理系科目と運動が得意

 転校は中学でも一度経験し、1年生の途中で同じ福岡県の朝倉町(現在の朝倉市)に引っ越すことに。その際、担任だった数学の先生に「北野くんはこれからどんどん伸びる子です。このまま面倒を見させてもらえませんか?」と引きとめられました。先生の家に下宿しても構わないとまで言ってくださいましたが、家の都合もあり、実現しませんでした。でも、その時の先生の気持ちに応えるために、転校先でも勉強を頑張ろうと気合が入りましたね。
 得意だったのは理系の科目です。授業で教わること以外でも科学に興味があったので、講談社が刊行する科学系新書シリーズ『ブルーバックス』を夢中になって読みました。中でも特に心惹かれたのは*1分子生物学の分野です。
 中学時代は、部活の器械体操にも打ち込みました。幼い頃からとにかく体を動かすことが大好きで、鉄棒の大車輪もマットでくるっと回るバク転もすぐにできるようになり、地元の大会では何度も表彰台に立ちました。

*1 生物体とその働きを分子構造の面から探究する研究分野。

▲運動は大の得意で中学の体育の成績は「5」。高校でも自信満々でしたが、途中で柔道部を辞めたことでクラブ点がつかず、「4」に下がって悔しい思いをしました。

(上)中学時代、器械体操で優勝した時の1枚。表彰状を持っているのが北野学長。
(下)九州フェンシング大会で優勝した時の1コマ。

勉強すれば苦手にならない

 高校受験のための勉強は、特別なことは何もしていません。毎日授業をしっかりと聞いて基礎をコツコツ積み上げていたので、受験学年になっても焦ることはなく、普段通り。勉強も大人になってからの仕事も、この心構えで臨んできました。今日やるべきことは必ずその日に終わらせ、なおかつ早めにすませると、余裕をもって過ごすことができます。
 高校は地元の公立高校へ。高校に入っても理系好きは変わらず。入学当初は国語を不得手と感じることもありましたが、目を背けずにいれば苦手にならないはずだと取り組んでいて、文系科目もテストで困ることはなかったです。
 医学部を目指そうと決めたのは、内科医をしていた母方の叔父が、心筋梗塞で若くして急逝したことがきっかけです。それまでは、農学部に入って分子生物学を学ぶのもおもしろいかも……と考えていましたが、叔父の死があまりにもショックで、医師になって病気で苦しむ人を助けたいと強く思うようになりました。

一番大変な外科グループに

 九州大学医学部を選んだのは、自宅から1時間ほどで通えたからです。長男ということもあって、大学は自宅から近いところにしようと思っていました。最初の2年は教養部の学びで、他学部の学生と交流できたことはいい社会勉強になりましたね。その頃の趣味といえば、音楽。フォークミュージック全盛期だったので、ギター片手に近くの大濠公園に行き、仲間と一緒に流行りの曲を弾いたり歌ったり……。私の青春時代の1ページです(笑)。
 3年生からは本格的に専門授業が始まり、高学年になると臨床実習を行います。ひとつの診療科の実習を終える度に教授から、「卒業したらうちの科へ」と誘われました。最終的に外科を選んだのは、直接自分の手で手術をして患者さんを助けられるからです。研修医として配属されたのは、附属病院の中で一番大変だと言われていた食道静脈瘤を治療するグループでした。
 食道静脈瘤の治療は、当時は切開による手術が当たり前で、肝硬変を併発しているケースも多く、手術をしても生存率は約50%でした。そんな状況の中でも患者さんに精一杯尽くしたいという一心で臨床経験を重ね、研修医2年目は専門性をより高めようと大学院へ。その後、食道静脈瘤の治療の最先端をゆくケープタウン大学(南アフリカ共和国)に留学。ここで硬化療法に出合ったことが、外科医としての分岐点となりました。食道静脈瘤の*2内視鏡的硬化療法は、患者さんの体への負担が少ない、それまでの概念を覆す治療法でした。

*2 内視鏡を使って食道静脈瘤に硬化剤を注入し、静脈瘤(血管がコブのようにふくらんだ状態)を固めて治療する方法。

▲留学といえば欧米が主流だった時代、単身南アフリカへ。ケープタウン大学のすぐ近くには特徴的な形のテーブルマウンテンがそびえ、休日はよくハイキングに出かけました。

常に新しいことに挑む

 硬化療法は必ず歓迎されるはず――そう確信して留学先から帰国すると、一部から「お前は外科医の敵だ!」と言われました。従来の外科的手術が不要になるので不満を口にする人もいたのです。しかし私は何よりも患者さんのことを第一に考え、どんな逆風にも立ち向かう覚悟で前に進み続けました。そして、そのスキルを磨くためには自分の専門外の領域も学ぶ必要があると感じ、当時、米国で新たに始まった腹腔鏡下胆嚢摘出術をいち早く学び、西日本で初めての腹腔鏡下胆嚢摘出術を行うとともに、約500名の外科医にこの技術を教えました。
 こうした経験が外科医としてのステップアップにつながったことは言うまでもありません。現状に甘んじていては前には進めません。以降、私は“改革なければ明日はない”という強い決意をもって仕事に臨み、大分大学の学長に就任した後も、この信念のもと大学改革に取り組んでいます。
 近年では、令和5年、医学部に「先進医療科学科」を設置。令和6年には「DX人材育成プログラム」を本格的に開始しました。その後も様々な改革に着手し、高度な教育を提供し優秀な人材を輩出するとともに、地域の課題も解決できる研究機関として進化を続けています。
 皆さんにお伝えしたいことは、早寝早起き、規則正しい生活を心がけて健康を保ちましょう――シンプルですが、これに尽きます。バランスの良い食事と適度な運動にも努めてください。心身とも健やかであれば、何事にも全力で打ち込めます。健康はすべての活動の源。自分でしっかりと管理することが大事ですよ。

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