関塾タイムス3月号 特集 のぞいてみよう、江戸時代の暮らし ―現代につながる行事・慣習も

関塾タイムス3月号 特集 のぞいてみよう、江戸時代の暮らし ―現代につながる行事・慣習も

 戦国時代が終わり、世の中が安定した江戸時代は、人々の暮らしにも心理的・時間的・経済的な余裕がうまれてきます。幕府や大名は家臣たちに学問をすすめ、その風潮は庶民にも広がっていきました。学問に親しんだり、芝居を観に出かけたり旅行を楽しんだり……と、少しずつゆとりが出てきた人々は、どんな生活を送っていたのでしょうか? 江戸時代の時代背景とともに紹介します。

*本文の記述は、江戸(現在の東京)に住む庶民の暮らしを基本にしています。

食生活は? 買い物は? 江戸時代を知ろう

 ドラマや映画で、江戸時代の町の雰囲気や、人々が暮らしている様子を見たことがある人もいるでしょう。当時の人たちは、どんな環境のもとで暮らし、どんな食生活をしていたのでしょうか――。まずは江戸時代の基本情報をおさえておきましょう。

江戸時代の基礎知識

◆何年間続いた?
 江戸時代とは、徳川家康が江戸幕府を開いた慶長8(1603)年から、15代将軍・徳川慶喜が大政奉還した慶応3(1867)年までの265年間を言います。
 江戸の町(現在の東京)では、家康の壮大な都市構想によって大規模な工事や土地の整備が次々に進められました。また、参勤交代によって全国から大名や家臣らが来て住むようになると、その妻や子、衣食住を支える商人や職人たちも江戸に集まり、人口が増加。江戸時代の中頃には、江戸は人口百万人を突破し、イギリス・ロンドンを超える大都市へと発展しました。

◆時間・時刻の基準は?
 江戸時代は、日が昇ると起きて活動を始め、日が沈んだら休む、というのが基本の生活スタイルでした。
 時間は、日の出から日没までと、日没から日の出までをそれぞれ6等分した一単位を「一刻」としました。現在、私たちが使っている「定時法」で昼と夜の時間をそれぞれ単純に6等分(24時間を12分割)すると、一単位は2時間となります。しかし、日の出と日没を基準としていた江戸時代の時刻のとらえ方では、一刻の長さは夏と冬など季節によって変動し、一定ではありませんでした。

◆貨幣制度は?
 金貨、銀貨、銅(銭)貨の3種の系統を併用する三貨制度でした。強いて言えば、同じ国の中で、それぞれ相場が変動する円とドル、ユーロが独立して通用していたといった状況。そのため、両替を行う両替商が発達しました。

(写真右)江戸時代の両替商は、預金や信用貸しなど、現在の銀行のような業務を行いました。
(写真左)江戸時代の両替商の木製看板。分銅をモチーフにしています。

◆どんな食生活だった?
 江戸時代には、庶民も精米された白米を食べていました。1日3食の食習慣が根づいたのは元禄の頃(1688~1704年)で、女性や子どもに1日3食とる習慣が浸透したのは、そのずっと後の寛政(1789~1801年)のことです。
 朝に1日食べる分の米を炊き、お櫃に入れて保温しました。おかずは、朝食は味噌汁のみ、昼食は冷や飯に魚か野菜を使ったものが1品。夕食は冷や飯をお茶漬けにし、たくあんなどの漬け物だけ、といった内容。現代は、3食の中で夕食が一番充実しているのが普通ですが、江戸時代は夕食が一番質素だったのです。

◆食べ物はどうやって調達?
 肉を食べる文化がまだなかった時代、人々の重要なたんぱく源だったのは、豆腐や納豆などの植物性たんぱく質でした。天明2(1782)年には、100種類もの豆腐料理を紹介した料理本『豆腐百珍』が刊行され、ベストセラーに。
 豆腐や納豆、魚や野菜などの食材は、天秤棒を担いで売り歩く行商人から手軽に買うことができました(詳しくは後述)。

どんなことを教えていたの? 寺子屋はこんなところ

 寺子屋は、現代でいう学習塾のような教育施設。古くは寺社の境内にあったのでこう呼ばれますが、江戸時代には「手習い」と言われることが多かったようです。読み・書き・そろばん以外にも、いろいろなことを教えていました。

全国に1万軒以上あった個別教育施設

 江戸時代にどれくらいの数の寺子屋があったかは、正確にはわかっていません。明治時代に編纂された『日本教育史資料』によれば、1万6千軒以上あったということですが、近年の調査では、その数倍はあったという説もあります。
  もともとは、師匠になる人がお寺を借り、年少者に読み書きや計算を教えたのが始まり。商売をしている店に奉公に上がるための基礎知識を学ぶという目的もあったので、“商人の町”大阪で始まり、やがて全国に広まりました。

◆6~7歳で入門  通う期間は4~5年
 多くの一般家庭では、子どもが6~7歳になると寺子屋に通い始めました(2月最初の午の日=初午の頃に入門するのが一般的)。入門する日は父親が机を担いで運び、文箱(筆や硯、練習帳などを収納する道具箱)を用意しました。
 通う期間は4~5年ほど。11~12歳になると、奉公に出るためにやめる子どもが多くいました。

▲文箱には、筆や墨、硯、水滴、練習帳などを収納しました。(画像提供:唐澤博物館)

▲寺子屋で子どもたちが使った天神机。天神とは学問の神様・菅原道真のこと。(画像提供:唐澤博物館)

◆午前8時頃~午後2時頃まで 昼ご飯は家で
 朝五ツ(午前8時頃)に始まり、終わるのは昼八ツ(午後2時頃)。午前の学習が終わるといったん帰宅し、家で昼ご飯をとることが多かったようです。
 義務教育ではないので、家の手伝いなどがあれば休んだり途中で帰ったりしてもよく、比較的自由でした。

◆年齢の違う子どもたちが一堂に 教わる内容はまちまち
 寺子屋には、年齢の違う子どもが集まって一緒に学んでいたので、各自が教わる内容はまちまちでした。師匠が相手の年齢や能力に応じて手本を渡し、子どもはその手本をひたすら書き写すことで読み書きを修得しました。
 紙は貴重品だったため、1枚の紙に墨で何度も重ね書きし、真っ黒になるまで練習したといいます。

◆師匠の身分はいろいろ 多くは副業かボランティア
 先生は「手習の師匠」といい、身分は僧侶、神官、武士、浪人、農民、医者、町人など様々。都市部には女性の師匠も多くいました。寺子屋だけで生計を立てる人は少なく、ほとんどは副業かボランティア。夫婦で経営し、男女別々に指導していた例があるものの、男女共学が普通でした。

◆商人の子にはそろばん、女の子には裁縫など
 教えるのは読み書きが基本でしたが、その他に個々の希望に合わせた指導も行っていました。たとえば、農民の子には農作物の育て方、商人の子にはそろばんや大福帳(帳簿)の書き方、漁師の子には漁法、女の子には裁縫……といった具合。頼まれれば何でも教える、個別学習形式をとっていました。

◆往来物(=教科書)も多種多様
 寺子屋で使われた教科書を「往来物」といいます。往来物は、初歩的な知識をまとめたものから、実生活に役立つ実践的なものまで多種多様。将来、必要となる専門知識などが書かれていました。それらの中から師匠は、商人の子どもには算数の解説やそろばんの使い方が書かれた往来物を、漁師の子どもには魚の名前や絵が載っている図鑑や、漁の仕方が書かれた往来物を読ませました。

江戸時代のお祭りと遊び ハロウィンのようなお祭りも

 江戸時代、子どもたちがわくわくするイベントといえばお祭りでした。いろいろなお祭りの中でも、子どもたちが1年で一番楽しみにしていたのは、2月に行われる稲荷神社のお祭りでした。

「おかんけん」と言うとお金がもらえた

 2月最初の午の日(=初午)には、全国の稲荷神社でにぎやかなお祭りが行われました。子どもたちは、「初午太鼓」や「手遊び太鼓」と呼ばれる太鼓を打ち鳴らし、『おかんけん』と言いながら家を一軒ずつ回り、家の人からお賽銭をもらいました。「おかんけん」とはお賽銭や寄付のこと(勧化=賽銭・寄付という意味)。
 この現代のハロウィンのような慣習を、埼玉県浦安市は今も行っています(同市では「おおかんけ」と言います)。初午の日、子どもたちは歌を歌いながら家々を回り、お菓子や飴玉などをもらうのが冬の伝統行事なのだとか。

江戸時代のコンビニ!? 人々の暮らしを支えた様々な行商

 冷蔵庫もスーパーマーケットもなかった江戸時代。人々は毎日の食材を、町を行き交う行商人から買っていました。食べ物だけでなく日用品から季節商品まで扱っていた行商人は、いわば“移動式コンビニのような存在でした。

行商人の声が時計代わりに

 行商人は「振り売り」「棒手振り」とも言います。天秤棒を担いでいろいろなものを売り歩きました。
 納豆売りや豆腐売りは、お客さんを集めるために独特の節回しで商品をアピール。毎日同じ時刻に売りに来るので、その声を聞くと何時かわかったと言われるほど、行商人の行動は生活に深く溶け込んでいました。
 なかには、目立つ格好をして通行人の興味をひく人も。唐辛子の形をした大きな容器を背負い、その中に七色唐辛子の小袋を入れて売った「唐辛子売り」がそれ。仮装コスプレのような見た目は、さぞ注目を集めたことでしょう。

路地の奥まで売りに行くデリバリーサービス

 多くの行商人は、今でいうデリバリーサービスのように、狭い路地の奥など町の至るところにまで出向いてものを売り歩きました。また、魚売りはお客さんの要望に応じて、魚をさばいて提供することも。行商人は、こうしたきめ細かいサービスで人々の生活を支えました。

季節商品もいろいろ

 季節の商品を扱う行商人もいました。お正月前には、宝船に七福神を描いた絵を売る「お宝売り」、3~4月には、きゅうりやなす、かぼちゃ、朝顔などの苗を扱う「苗売り」が登場。夏になると、屋台いっぱいに風鈴を吊り下げて売り歩く「風鈴売り」が現れ、七夕には「竹売り」、さらに「蚊帳売り」や「金魚売り」なども……。
 こうした行商人は、季節の到来を知らせる風物詩の役割も担っていました。食べ物から季節商品まで様々なものが手軽に手に入った江戸時代は“お買い物天国”だったといえるかもしれませんね。

関塾

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