2020年5月号 わたしの勉学時代 長崎大学長 河野茂先生に聞く

国立大学法人長崎大学は、1857年の創立以来、地域に根ざした総合大学として地方創生の原動力となり続けてきました。伝統的な実学主義・現場主義に基づき、実習や実験を多く取り入れた教育を行っています。掲げる教育テーマは「Think globally, Act locally」。国際的な視野を持ちながら、自分たちの足元にある地域の課題にも対応できる人材の育成を進めています。今回は、同大学の卒業生でもある河野 茂先生にお話を伺いました。

【河野 茂(こうの・しげる)】
1950年生まれ。長崎県出身。医学博士(長崎大学)。
74年3月長崎大学医学部卒業、同大学医学部附属病院第二内科入局。80年同大学大学院(病理学)卒業後、82年まで米国ニューメキシコ州立大学医学部病理学教室に留学。帰国後、長崎大学医学部附属病院に戻り、佐世保市立総合病院、長崎市立病院成人病センターでの勤務を経て、85年長崎大学医学部助手、90年講師、96年教授となる。2000年同大学大学院医学研究科感染分子病態学講座教授。06年長崎大学医学部長、09年理事・病院長、14年理事・副学長を歴任し、17年10月より現職。専門は呼吸器感染症。

父はパイロット、母は薬局経営

 生まれ育ったのは、長崎県のほぼ中央に位置する波佐見という町で、波佐見焼という焼き物で有名です。私が小さい頃は陶器を焼くのに薪を使っていて、近所に薪をたくさん積んである倉庫がありました。そこに登ってよく遊んでいましたね。他には、木の枝でちゃんばらをしたり、三角ベースをしたり山でメジロをとったり……。メンコや缶けりもよくやりました。メンコは私の田舎では「ぺちゃ」と言うんですよ。
 家族構成は両親と弟2人、祖母です。父は海軍兵学校を出て、第二次世界大戦中はパイロットをしていました。終戦後は地元に戻って農業をし、その後、中学校の教師になって英語と数学を教えていました。母は薬剤師で薬局を営んでいました。神戸女子薬学専門学校を卒業して薬剤師になったのですが、当時は女性で高等教育を受けて薬剤師にまでなる人は、まだまだ少ない時代でした。父は子どもの教育にはほとんど口を出さず、3兄弟の躾はもっぱら母の役目。薬局の仕事が忙しい中でも、子どもの教育にはとても熱心でしたね。
現在の神戸薬科大学。

▲大学時代は学生運動が激化していた頃で、ストライキで授業は中止、留年したらすぐ放校(退学)、そんな時代でした。入学時には100人くらい同期生がいましたが、一緒に卒業できたのはその半数もいなかったのではないでしょうか。

英語に慣れ親しんだ中学時代

 小学校1年生の時は、他の子に比べて勉強があまりできませんでした。早生まれ(3月生まれ)だったせいかもしれません。「〇〇賞」など「賞」が付くものももらえませんでしたが、ある日担任の先生が、竹でこしらえた手づくりの筒をくれました。習字道具を入れる筒で、表には「賞」と書いてありました。何の賞ももらえない私を見かねて、「くじけずにがんばりなさい」という思いを込めて贈ってくれたのだと思います。嬉しかったですね。
 中学校では理系の数学や理科が得意でした。英語も好きで、担当してもらった豊田先生の授業がユニークだったことを覚えています。普通は、教科書を読んで単語を書いて覚えて……という教え方をしますが、豊田先生はまず会話文を覚えさせ、私たちに英語で日常会話をするように指導されました。そのおかげで英会話の楽しさを知ることができました。振り返ると、今から50年以上も前に、長崎の田舎町で、時代を先取りした英語教育をされていたのだなと、先生の偉大さを改めて感じます。
 そして中学生の時から、ラジオの基礎英語を毎日欠かさず聴くようになりました。豊田先生の授業やラジオで英語に慣れ親しんだ影響で、「将来は外国に行ってみたい」と考えるようになりました。

高校で医師を志し長崎大学へ

 父方の祖父は医者で、地元で河野医院を開業していました。祖父の長男は医者になったものの戦死、三男―つまり私の父は軍人になったので医院を継ぐ人がいません。ですから私たち3兄弟の心にはいつしか、「将来は誰かが医院を継がなければ……」という思いが芽生えていました。私も高校生になる頃には、「がんばって勉強して医者にならないと」と漠然と考えていました。
 高校は長崎県立佐世保南高校へ入りました。波佐見町からバスで40分くらいかかります。朝の補習がある時は、まだ薄暗い中6時台のバスに乗って通学しました。佐世保は波佐見とは違い都会ですから、いろいろな刺激を受けました。外国人が多かったのでドキドキしながら英語で話しかけたり……。高校の成績はずっと良かったです。「田舎の中学出身でこんな良い成績がとれるなんてすごいね」と注目もされました。大学受験の時には開業医になるつもりだったので、他県の大学には全く関心がなく、初めから長崎大学を受けようと心に決めていました。受験では「何番目で合格するだろうか」ばかりが気になって、落ちるということは考えもしなかったですね(笑)。

▲親御さんは自分の子を信じ、お子さんが挑戦したいことを見つけたら、少し離れた所から見守ってあげてください。「起業したい」「芸術家になりたい」と、一見リスクが高いと思われる道を選ぶ子もいるでしょう。そんな時もお子さんの意思を尊重してあげてほしいと思います。

開業医は諦め、感染症研究へ

 長崎大学医学部卒業後は大学に残り、開業医になるために、当時、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、腎臓内科を有していた第二内科に入局しました。そこで2年間研修。その後は大学院で病理学を学びました。大学院時代は、私だけ毎年夏休みに2週間の休みをとって海外へ行っていたので、教授や助教授からは嫌われていたと思います(笑)。大学院卒業後は留学を希望しましたが、教授に嫌われていたので(笑)、全て自分で手配して渡米しました。ニューメキシコ州立大学の病理学教室に2年間在籍し、帰国後は長崎大学に戻りました。この頃、弟が消化器の病気を患ったこともあって消化器系の医者を目指していました。ところが、ここが人生のターニングポイントになったのですが、教授から「河野君、ここでは皆、呼吸器や感染症を専門に研究している。一緒にやらないかね?」と誘われ、断りきれずについ「はい」と……。本来この分野は細菌学やウイルス学を学んだ人が研究すべきなのに、専門外の私がやることになったのです。でも、「いずれ開業医になるから」と自分に言い聞かせ、大学の関連病院で勤務し経験を積んでいました。
 しかし、ここで再び転機が訪れました。長崎大学の教授から「教員として大学に戻って来ないか」と声をかけられたのです。私はずっと、開業医になり祖父の医院を継ぐことを目標にしていたので大いに未練があったのですが、熟慮の末、誘いを受けることにしました。大学に戻ったものの細菌もウイルスもわからない私に、感染症の分野で何ができるだろうか?と考え、最終的にたどり着いたのが、真菌(カビ)の感染症でした。私と後輩のたった2人で真菌の基礎研究から始めました。まさにゼロからのスタートです。先輩からは、「ここは細菌学が専門なのにカビなんか研究してどうするんだ」と嫌味を言われましたが、私ができる分野はこれしかないと覚悟を決めて取り組みました。感染症の研究を始めて40年以上になりますが、この領域で多くの成果を残せたのではないかと自負しています。

▲お母様、2人の弟さんとの思い出の1枚。真ん中が河野先生。

▲お父様、下の弟さんと(1965年1月)

1つのことを長く続ける

 私は小さい時から1つのことを長く続けるのが得意です。中学時代に始めたラジオの英語学習は今も継続しています。もう55年以上になるでしょうか。1日数回の放送を欠かさず聴き、パソコンにも入れて繰り返し聴きますので、1日に何時間も英語を耳にしています。この習慣は私の人生で一番役に立ちましたね。
 朝のトレーニングも欠かしません。まず、10分間のラジオ体操、続いて腹筋・背筋・腕立て伏せを150回ずつとストレッチ、自転車マシンを20分、それから大学まで25分かけて歩いて来る、これを20年以上毎日しています。これは全て自分のためになるから続けています。ラジオの英語学習もそう。55年以上も聴き続けているのは、英語をうまく話せるようになりたいという目標があるからです。自分のためになることですから、続けるのは当然ですよね。勉強も同じです。努力は決して裏切りません。私は毎日のトレーニングのおかげで、ゴルフのドライバーショットの飛距離は若い人と変わりませんよ(笑)。

臆病にならずにチャレンジを

 関塾生の皆さんは、臆病にならず何にでもどんどんチャレンジしてください。自分がやりたいことをとことん追求してもいいですし、社会や周りから必要とされることに応えていく――それでもいいと思います。自分に合う道を選択し挑戦する、自らの未来を切り拓く力を身に付けましょう。よく言われることですが、今ある仕事が10年後20年後には想像もできない形に変わっているかもしれません。そんな時代に必要になるのは、自分の頭で考えること、そして周りとうまくコミュニケーションをとることです。自分の個性を伸ばして好きな道を行くのか、周りの人と力を合わせ協働する道を選ぶのか、どちらが自分に合っているかをよく考え、その選んだ道で自らの能力を思う存分、発揮してほしいと思います。
 日本は今、少子高齢化で閉塞感があり、ここ長崎でも人口減少が深刻な問題です。この重苦しさは、新しい何かを始めることでしか打ち破ることができないのではないでしょうか。一度くらい失敗してもいいじゃないですか。失敗すればその分、成功する可能性が増える、そう考えれば失敗も怖くなくなります。挑戦しては失敗し、失敗から学びを得て、それを糧としてまた新たな挑戦をする――。こうした経験がきっと皆さんを成長させてくれます。

関塾

タイムス編集部

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