2021年1月号 わたしの勉学時代 愛知県立大学 学長 久冨木原 玲先生に聞く

愛知県立女子専門学校を母体とし、女子短期大学、女子大学を経て、1966年に男女共学の4年制大学として発足した愛知県立大学。現在は、長久手市と名古屋市守山区の自然豊かなキャンパスに文理看護5学部を構える公立大学として、良質の研究に裏付けされた良質な教育を行い、地域・国際社会に貢献できる人材の育成を目指しています。現学長の久冨木原玲先生は、法学から文学へ転じたことについてのお話を聞かせてくださいました。

【久冨木原 玲(くふきはら・れい)】
1951年生まれ。鹿児島県出身。博士(文学)(立教大学)。
76年3月早稲田大学法学部卒業。80年3月東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、85年3月同博士課程単位取得満期退学。87年4月より鹿児島女子短期大学教養学科専任講師、90年より助教授。93年4月より共立女子短期大学文科助教授、2001年より教授。06年4月より愛知県立大学文学部教授、09年より日本文化学部教授、13年より同学部長。16年ブラジル・サンパウロ大学にて客員教授を務める。18年4月より現職。専門は日本古代文学、日本韻文史。

小さな町で生まれ育って

 生まれは鹿児島県薩摩郡(現 薩摩川内市)で、盆地の小さな町で育ちました。両親と弟、祖父母に、一時期叔父一家も同居していて、多い時は9人家族でした。母は病弱で、入院することもあったのですが、私や弟にいろんな話を読み聞かせてくれました。私も体が弱くて家で遊ぶことが多かったので、母の読み聞かせやラジオで物語を聞くのが大好きでした。もちろん自分で本を読むのも好きで、小学校に入ると、図書室で世界中の様々な物語を借りました。また、国鉄に勤めていた父は音楽が趣味で、耳慣れない異国の音楽は、私にまだ見ぬ広い世界を想像させてくれました。
 そんな私には1学年2クラスしかない小学校がとても狭い世界に感じられ、高学年の頃にはもっと広い世界に出たいと思うようになりました。勉強も、つるかめ算など学校では習わない問題がおもしろくて、本屋で参考書を買って解いていました。そこで、鹿児島市内の中学校を受験したいと両親に頼んだのですが、家から通える距離ではなく、中学生で下宿は心配だからと許してもらえませんでした。
 仕方なく地元の中学校に進学したのですが、5つの小学校が集まっていて、思っていたよりは世界が広がり、友達も増えて、吹奏楽部にも入って楽しく過ごせました。3年生の時には生徒会長を務め、女子生徒では初だと言われたのですが、両親が「男だから、女だから」ということは一切言わず、私と弟を分け隔てなく育ててくれたので、私にとっては自然なことでした。

▲小さい頃は「お話出てこい」というNHKのラジオ番組に夢中で、幼稚園が始まるのと同じくらいの時間に放送していたのですが、聞き終わるまでは幼稚園に行きませんでしたね(笑)。

困っている人のサポートを

 もっと広い世界に出たいという思いはずっと持っており、高校受験の時には両親にも反対されず、県内トップの公立校である鹿児島県立鶴丸高校に合格し、鹿児島市内で下宿をしての高校生活を始めました。県内各地から優秀な生徒が集まる高校で、同じ下宿にもいろんな地域の人がいて、世界が大きく広がり、とても楽しい高校生活でした。ですが、2年生になってすぐ手術が必要な病気をして、1年間入院生活を送ることになりました。
 また、勉強についても中学までのようにはいきませんでした。母も私も体が弱かったこと、医療を受けられない人々もいると本で読んだことなどから、医師になってそういう人たちの助けになれたらと思っていたのですが、理数系科目がやや苦手で、体力的にも医学部への進学は無理だと考えました。文系を選び、でもやはり弱い立場、困っている人たちをサポートしたいという思いから、それなら法律を学んで弁護士になろうと法学部を志望しました。東京に出たいとも思っており、当時司法試験合格者数のベスト3だった、東京大学、早稲田大学、中央大学を受けました。ですが、体調がまだ本調子ではなく、出席日数ギリギリで、受験勉強も思うように進められませんでした。国立の科目数にはとても対応できず、試験当日も途中で具合が悪くなって保健室に運ばれてしまったのです。幸い、英語や国語、日本史は得意だったので、3科目の私立入試にはなんとか耐えられて、早稲田大学法学部に合格できました。

▲手術をする時、貧血がひどくて輸血が必要になって、夏休み中だったにもかかわらず、クラスの友達がすぐに献血をしてくれました。お見舞いにもたくさん来てくれたので、入院生活でも楽しくてありがたい思い出になっています。

自信を失った大学時代

 大学に入ってまた世界が広がるはずが、そうはいきませんでした。当時、法学部の女子学生はクラスに1人いるかいないかだったのですが、皆とても意識が高く、1年生のうちから既に司法試験の勉強や模擬裁判など、将来に向けて積極的に活動していて、私はその勢いに圧倒されてしまいました。専門課程の勉強も難しくて全く理解できず、すっかり落ちこぼれてしまって……。せめてサークル活動をと筝曲部に入りましたが、そこも在学中にプロになる人がいるほどレベルが高くて、やはりついていけませんでした。何をやっても駄目で、どんどん自信を失っていきました。また水俣病などの公害が大きな社会問題となっていた時代でもあり、裁判などで訴える患者さんたちの様子を見て、この方々の力になることができるのかと無力感を抱きました。結局、弁護士は無理だと思って、日本史が好きだし教員はどうかと教育実習に行ったら、これがとても楽しかったのです。それで教員採用試験を受けたのですが、学科は通ったものの、面接で落ちてしまいました。
 4年生の10月頃のことで、就職活動もしておらず、これからどうしようと悩んで、考えついたのが大学院を受けることでした。法学の中には法制史という各時代の文献などから法律の歴史を学ぶ分野があり、それなら研究できるかもしれないと。ところが、事務室に話を聞きに行ったら、法学部の試験は既に終わってしまっていました。2~3月頃にあると思い込んでいたのですが、社会科学系の試験は9月頃でした。がっかりして他の学部を調べたら、文学部などの人文科学系の大学院は2月に試験があるとわかりました。もうそれを受けるしかないと思い、文学部の友達に参考書を借りて勉強しました。もちろん法学部とは全く違う内容ですが、高校で1年間入院した時、母が原文で読み聞かせてくれた『源氏物語』が好きで、実は大学でも文学部の友達数人と月1回自主的な読書会をしていたのです。そのおかげで楽しく勉強し、結果、東京大学大学院に合格できました。

一番好きなことを仕事に

 基礎がない状態での進学でしたが、もともと好きで興味のある分野だったので、大変ではあっても楽しく学べました。幸運なことに、2020年度文化勲章を受章された恩師の久保田淳先生はとても懐の深い方で、先生とは全く異なる研究方法で論文を書いたにもかかわらず、それを認めてくださいました。それで自信を持つことができて、同期や先輩後輩、仲間たちと臆することなく意見を交わし合えるようになり、ようやく充実した学生生活を過ごせました。そして、博士課程に進み、そのまま研究の道へ。文学は一生の趣味として医学や法学を仕事にしたかったのですが、失敗に失敗を重ねて、結局一番好きなことを仕事にしてしまいました(笑)。ですが、自らの専門を活かしながら学生たちと共に過ごせることは非常に嬉しく、やりがいがあり、結果的には本当に良かったと思っています。
 それに、ブラジルのサンパウロ大学で客員教授を務めたり、ヨーロッパや中央アジアなど様々な国で講義や講演を行ったり、海外から見た日本文化に触れることができたのもこの仕事をしてきたからです。例えば、ブラジルでポルトガル語の俳句が盛んに詠まれていたり、一夫多妻の感覚が残るウズベキスタンで『源氏物語』を身近な物語だと感じる学生がいたり。想像もしていなかった驚きの連続で、すっかり魅了されてしまいました。こうした異文化間の相互交流はとても大切で、海外の目を通すことで日本を再発見できるのだと実感しました。

▲ゼミの学生から先生への寄せ書き。人物や植物は貼り絵で作られています!

失敗しても終わりではない

 お話してきたように、私の人生は失敗の連続で、夢見ていた職業に就くことも叶いませんでしたが、だからこそ関塾生の皆さんには、失敗してもそれが全てではないのだとお伝えしたいのです。失敗してもそこで終わりではなく、自分でも気が付かないような可能性がたくさんあるのです。私の『源氏物語』のように、ただ好きで続けていたものが一生の仕事になることだってありますし、愛知県立大学には73歳で博士号をとられた方もいます。人生は長く、才能がいつどこで花開くかは誰にもわかりません。
 うまくいかない時は、人と比べて焦るばかりで、自分は駄目だと自信をなくしてしまいがちです。そんな時は、自分ができることを少しずつやっていきましょう。最低限これだけはやろうと決めて、それができたら良しとするのです。どのような状況であっても、自分なりの目標を持つことが大切です。
 保護者の方には、そんなお子さんをどうか長い目で見守っていただけたらと思います。受験や就職など人生の節目でお子さんを心配されるお気持ちは当然のことと思いますが、もし失敗してしまっても、可能性が閉ざされてしまうわけではありません。ですからそんな時も、その結果を共有して、あるがままを受け止めてあげてください。近くに自分を丸ごと認めてくれる人がいれば、安心してそれに拠って立ち、失敗や挫折を乗り越えて、次の一歩を踏み出すことができるでしょう。

関塾

タイムス編集部

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