2022年12月号 わたしの勉学時代 慶應義塾長 伊藤 公平先生に聞く

慶應義塾の創立者は明治初期に実学の精神と人間の自由・平等・権利の尊さを説いた福澤諭吉。その理念を受け継ぎ、自他の尊厳を守り自らの判断と責任で行動する「独立自尊」をモットーに掲げ、学問と研究に最先端で向き合う学生を育てています。小学校から大学まで慶應義塾で学ばれた伊藤公平先生は、お父さまの教育方針により小さい頃から世界に目を向け、慶應義塾の目的である社会の先導者たらんことを念頭に過ごされていたそうです

【伊藤 公平(いとう・こうへい)】
1965年生まれ。東京都出身。工学博士(カリフォルニア大学)。
89年3月慶應義塾大学理工学部卒業。92年カリフォルニア大学バークレー校 M.S.in Materials Science and Engineering修了、94年同校Ph.D.in Materials Science and Engineering博士号取得。95年慶應義塾大学理工学部助手、専任講師を経て、2002年より助教授、07年教授、17年理工学部長・大学院理工学研究科委員長。05年以降、慶應義塾大学国際センター副所長、グローバルリサーチインスティテュート副所長を歴任し、21年5月に慶應義塾長(学校法人慶應義塾理事長 兼 慶應義塾大学長)に就任。専門は固体物理、量子コンピュータ、電子材料、半導体同位体工学。

小学校から慶應義塾へ

 生まれたのは祖父母が住んでいた神戸ですが、生後数か月ほどで東京に移りました。少年時代はスポーツが大好きで、友達とよく手打ち野球などをしていました。その頃は今と違い“子どもの遊ぶ権利”が認められていたように思います。ゴムボールが車に当たっても跡がつく程度なら構わないと大人は意に介さず、子どもたちは皆、のびのびと遊ぶ――そんな時代でした。
 幼稚舎(小学校)から慶應義塾に通ったのは、母方に慶應の出身者が多かったからです。家では主に母が躾をしてくれましたが、要所要所で父も言葉をかけてくれました。その“ひと言”が毎回とても厳しかったですね。遊んでばかりいると、「なぜ慶應義塾に入ったんだ? *1『学問のすゝめ』を読んでしっかり勉強しないと駄目だろう!」と叱られることも度々でした。
 父は海外経験が豊富で、親の仕事の関係で10代の時にニューヨークに渡り、家族が帰国した後も1人でアメリカに残り大学に進んだそうです。社会に出てからも海外に滞在することが多かったので、私も子どもの頃から「いつか世界に出なければいけない」と思いながら育ちました。

*1教育者、思想家の福澤諭吉が明治初期に著した書。詳しくは本誌「特集2」参照。

小中学校の学びが研究の礎に

 小学校時代は教科の枠に捉われない授業が好きでした。4年生の時、千葉の館山で行われた海浜学校のことは鮮明に憶えています。事前学習として理科室の標本で貝の知識をインプットするのですが、その下には発見者の名前が書かれていました。海浜学校で新しい貝殻を見つけると、今度はそこに自分の名前が加わるわけです。
 浜辺で新種と思われるものを見つけると、意気揚々と先生のところへ持って行き、すぐに図鑑と照らし合わせて確認しました。時にはクラスメイトが先に見つけていることがあり、「あと30分早ければ伊藤くんが第一発見者だったのにね」と先生に言われて悔しい思いをしたことも。実はこの経験は大学の研究につながるものです。成果の発表は誰かに先を越された時点で終わりです。そういうことも学べた授業でした。
 中学時代は、理科の実験レポートで先生に厳しく指導してもらいました。書き方のフォーマットが厳格に決まっていて、その通りに書いていなければ何度でも書き直しなさい、と。当時は「そんな細かい手順で書く必要があるの?」と疑問に思いましたが、大学進学後に過去のノーベル賞受賞者の論文を読むと、まさにそのフォーマット通りに書かれていました。そんな“本物”に触れる学びを中学から体験させてもらいましたね。

多様な価値観を目の当たりに

 高校進学後はアメリカに留学し、シリコンバレーの公立高校に1年間通いました。その時に強く感じたのは、日本と違ってアメリカの高校生はとても自立心が旺盛だということです。近年、日本の大学でも学生の起業や*2スタートアップに目が向けられるようになりましたが、アメリカでは私が高校生だった1980年代頃から、自ら新しいビジネスを立ち上げる者がいました。中にはかなりの大金を稼ぐ生徒もいて、そうした独立心をもって行動することは、今後自分が何かにチャレンジする時に必要なことだと感じ、大いに刺激を受けました。
 もちろん、すべての高校生がビジネスに興味をもっていたわけではありません。勉強に励む者もいれば、音楽やスポーツに打ち込む者もいる。そして大学進学においては、アメリカは日本のように「あの大学に入るために勉強を頑張る」といった型にはまった考え方ではなく、まず自分の生活をどのように構築するかを一人ひとりがじっくりと考えます。そこから大学を選び、将来、社会にどう貢献していくかを決めて自らの人生を切り拓いていきます。単に価値観が多様なだけでなく、個人個人が信念をもって生きていると感じました。

*2今までにない革新的なアイデアで新規ビジネスを創出すること。

▲中学時代はサッカー、高校以降はテニスに夢中になりました。スポーツの試合は一発勝負ですから、その点は受験と似ていますね。

成果を上げて先駆者になる!

 慶應義塾大学では理工学部に進学しました。1・2年時の授業は、「大学の勉強ってこんなものか」と何となく物足りなさを感じることもありました。しかしこうした一般教養の学びは、スポーツで例えるなら筋トレや走り込みといった基礎体力をつけるためのもので、4年生で研究室に入って初めて“試合”に挑めるのだとわかりました。
 私が所属したのは半導体の研究室です。そこで先輩たちが書いた論文を読むと、どの領域まで解明されているかがわかり、「それなら、ここから先は私が明らかにしてやる!」と意欲がわき、興味があった材料物理学や化学の研究により本腰を入れて取り組むようになりました。
 研究の醍醐味は、成果を上げれば自分が第一発見者になれることです。しかも、その内容をわかっているのは自分だけ。論文にまとめて発表することで、初めて世界中の人々がその事実を知るのです。逆の言い方をすれば、のんびり研究していると他の人にどんどん先を越 されてしまいます。研究とはそういう領域に足を踏み入れることなのだとあらためて肝に銘じました。学部卒業後は大学院に進み、その後はカリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得しました。

▲大学時代、テニスコートで(中央が伊藤先生)。

「独立自尊」の気概を

 1人でも多くの学生を世界に送り出したい――。帰国後、慶應義塾大学で教員生活をスタートさせたのは、この思いが強かったからです。そして時を経て2021年から慶應義塾長の立場になり、あらためて福澤諭吉が掲げた「独立自尊」の気概をもった学生を育成していかなければならないと感じています。
 今、学内では「塾生会議」の場を設けています。自己推薦と教員選出による学部生や大学院生80人ほどが集まり、これからの慶應義塾には何が必要かなどを議論しています。一例を挙げると、「ウクライナで起きている戦争の煽りを受けて現地で学べなくなった学生を受け入れるべきだ」という意見がありました。とても頼もしく誇らしく思いますが、大学は慈善団体ではありません。実際に学生を受け入れるには1人あたり年間1000万円ほどの費用がかかります。声を上げるのは自由ですが、議論する時は理想だけではなく現実も直視しなければなりません。そうしたことも学びながら、学生たちには福澤諭吉が説いた「誰もが気持ちよく共生できる社会」の実現を目指してほしいと思っています。
 関塾で頑張る皆さんに勉強のアドバイスをするなら、高校受験も大学受験も、入試科目が決められていることにまず目を向けてください。そして学校側は、そのスキルを求めています。こうした見方をすれば、受験には「枠」や「型」があるわけで、それに沿って勉強することに大きな価値があります。そこから自分の得意分野や興味のあることに出会えれば、自ずと進むべき道が見えてくるはずです。

▲留学を「頭脳の流出だ」という人がいますが、そうは思いません。むしろ優秀な仲間が世界で活躍すれば国内の後輩たちも刺激を受け、挑戦する心が芽生えるはずです。

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