2022年8月号 わたしの勉学時代 佐賀大学 学長 兒玉 浩明先生に聞く

佐賀大学は、佐賀師範学校と佐賀医科大学が母体。2004年に国立大学法人となり、現在の教育学部、芸術地域デザイン学部、経済学部、医学部、理工学部、農学部の6学部・6研究科体制に。県内唯一の国立大学として、地域に根差し、地域とともに未来へ向けて発展し続ける大学づくりを進めています。その舵をとる学長の兒玉浩明先生は同大学のご出身。中学時代の理科室の思い出などを語ってくださいました。

【兒玉 浩明(こだま・ひろあき)】
1960年生まれ。大分県出身。理学博士(九州大学)。
83年3月佐賀大学理工学部卒業。85年同大学大学院理工学研究科修士課程修了。88年九州大学大学院理学研究科博士課程修了。同年佐賀大学理工学部助手。同学部助教授、准教授を経て2009年教授。10年同大学大学院工学系研究科教授。同大学教養教育運営機構副機構長、アドミッションセンター長などを併任。学長補佐、入試改革推進室長、理事・副学長などを歴任し、19年10月より現職。専門は生体関連化学、構造生物化学など。

勤勉な父とのんびり派の母

 生まれたのは大分県北部の宇佐市です。幼稚園の頃は隣の中津市で過ごしました。家族は両親と弟で、父は高校の数学教師でした。真面目で勤勉な性格で、勤務を終えて帰宅した後は授業の準備をする傍ら、新しい傾向の数学問題が入試で出たなどと聞くと、それを熱心に解いていました。一方、専業主婦の母はとてものんびりしていて、私は母の性格を受け継いだようです(笑)。
 父に算数や数学を教えてもらった記憶はあまりありません。よく言われたのは、「学校で習う勉強を前もってやる必要はない」ということです。当時はなぜそう言うのか理解できませんでしたが、今にして思えば、自分で考える力が身につく前に公式や解き方のセオリーだけを覚え、それで問題が簡単に解ける、という感覚を味わうのは良くないという教えだろうと考えています。
 小学校の時は、好きな教科・嫌いな教科は特になかったように思います。ですが、高校に入ると英語や社会で覚えなければいけないことが多くてうんざりしました。暗記は得意だったものの、教科そのものに興味が持てず、興味がないから全く覚えられなくて……。この頃から数学や理科が好きでした。

▲両親は「勉強しなさい」と口うるさく言うタイプではなく、どちらかと言うと放任主義。自由気ままにさせてくれましたね。

理科の先生に憧れて……

 中学の時は理科の先生になるのが夢でした。通っていた中学には、鉄筋の新しい校舎の奥に木造2階建ての旧校舎が残っていて、その中に理科室がありました。放課後になると、部活動をしている生徒たちの声が遠くに聞こえる――そんな静かでひっそりとした場所です。1年生の時だったでしょうか、理科の先生が担任になり、何度か理科室を訪ねたのですが、ここにいる先生は職員室にいる他の先生とは全く違う独特の雰囲気を漂わせていて、とても印象的でした。そんな姿を見て理科の先生に憧れるようになり、この夢はその後もずっと持ち続けていました。
 高校は大分県立大分上野丘高校へ進みました。現在は県内トップクラスの進学校ですが、私が受験した1975年当時は、複数の高校による*1合同選抜という方式がとられていて、普通科の県立高校を志望すれば、そのうちのどこかには入れる、という感じでした。受験のハードルはそれほど高くはなかったように思います。

*1受験生が志望校を指定し、その希望をある程度考慮しながら、合格者を各校に振り分ける入試制度。

佐賀大学へ進んだきっかけ

 高校に入ると理系であることを明確に自覚し、数学の勉強ばかりしていました。まわりには優秀な生徒が多かったので刺激になりました。数学の先生からは、問題を解く方法は1つではないと教わりました。例えば、代数の問題はベクトルを使って答えを導く方法があるなど、高校では習わない解法を、雑談をするような気軽さで楽しく教えてくださり、理系に進みたい気持ちがますます強くなりました。
 佐賀大学を受けようと決めたのは高校3年の時です。『進路の助言』というシリーズ書を読んだことが決め手になりました。全国の理学部のことが詳しく紹介されていて、どこも魅力あふれる大学だと書かれていた中で、強く心を惹かれたのが佐賀大学理工学部でした。それまでは、先ほどお話しした数学の恩師の出身大学へ進もうと考えていたのですが、浪人する勇気もなく、この本に感化されて予定変更。佐賀大学を進学先に選びました。
 大学で専攻したのは生物系の化学で、タンパク質やアミノ酸などを研究していました。中学の理科の先生になるつもりでしたから教育実習にも行きました。教育実習が終わった後に大学院に進む話が持ち上がりました。高校2年生の担任の先生が大学院を出られていたことや、大学院を出てからでも学校の先生になれることを聞いて、それならばと進学しました。当時、佐賀大学理工学部には大学院博士課程がなく、九州大学の大学院に進みました。

▲本をたくさん読んだわけではありませんが、中学の頃から国語の成績は良かったです。それで一時は“文系かも?”と思ったこともありました。

大学院、そして大学教員へ

 九州大学大学院では指導教官に恵まれたこともあって、3年で学位を取得することができました。佐賀大学にいた時から同じテーマで研究を続けていて、その共同研究をしていた先生が、私が大学院に入った頃にちょうどアメリカ留学から九州大学に戻られ、幸運にも指導を受けることができました。
 博士課程修了後は、ある大学の研究室への就職がほぼ決まっていたのですが、そんな時に佐賀大学時代の恩師から電話がかかってきて、「佐賀大学で助手を募集します。応募しませんか」と。この一言で教員として母校に戻ることになりました。
 ずっと中学の先生になるのが目標だったので、大学で教鞭を執ることになるとは夢にも思いませんでした。大学の仕組みなど何もわからなかった私が、今こうして母校で学長を務めていることに、不思議な縁を感じています。

▲カナダの大学の先生(元佐賀大学の留学生)と国際会議で(1997年)。

自ら考える力を養おう

 佐賀大学は、新しい社会の到来に向けて、「佐賀大学のこれから -ビジョン2030-」を掲げています。この中で、2030年に目指す大学像として、「本学に関わる人々が誇れる大学」「本学で学びたいと選ばれる大学」「地域社会から期待・信頼される大学」になるというビジョンを描きました。この実現のために、私を含め教職員全員が一丸となって、教育・研究・社会貢献活動に全力を注いでいます。そして佐賀大学が地域活性化の中核的拠点となれるように、様々な取り組みと改革を推進していきたいと考えています。
 これまでを振り返ると、私は自分が興味のあることに向かってやってきたように思います。そんな中で、疑問を感じたり壁にぶつかったりした時は、「なぜこうなるんだろう」「この問題を解決するにはどうしたらいいんだろう」と、その都度立ち止まって真剣に考えました。関塾生の皆さんには、何に対しても“なぜ? どうして?”と問いを持つことが大切だと伝えたいです。例えば、数学は公式に数字を入れて計算すると答えが出ますが、どうしてこの公式なのか、この計算式が意味するものは何なのだろうと、ものごとの本質について深く思考してほしいのです。これを繰り返すことで主体的に考える癖がつき、そこから新しい“気づき”が得られるかもしれません。
 解き方をただ覚えるという浅い学びではなく、「これがこうなるからこうなる」という意味を考え、深く理解する力を身につけることが、予測困難と言われるこれからの時代には必要となるでしょう。皆さんが今後、自分の可能性を探り、やりたいことを見つけていく過程で、こうした力がきっと助けになってくれるはずです。

関塾

タイムス編集部

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