2021年12月号 わたしの勉学時代 琉球大学 学長 西田 睦先生に聞く

亜熱帯の地・沖縄にある琉球大学は、世界とアジア太平洋諸国の未来を創造する国立大学法人。7つの学部と9つの研究科(大学院)で構成される総合大学であり、卓越した教育研究拠点として、地域及び国際社会の発展のため、ますます大きな期待が寄せられています。現学長の西田睦先生は、大学院生の頃から琉球大学と縁がおありだったそうです。どのような勉学時代を経て成長されてきたのかを振り返っていただきました。

【西田 睦(にしだ・むつみ)】
1947年生まれ。京都府京都市出身。農学博士(京都大学)。
72年3月京都大学農学部卒業。77年3月京都大学大学院農学研究科博士課程単位取得退学。同年4月より日本学術振興会奨励研究員。80年4月琉球大学理学部助手、92年同講師。この間、91~92年カリフォルニア大学バークレー校分子細胞生物学科客員研究員。93年福井県立大学生物資源学部助教授、96年同教授。99年東京大学海洋研究所教授、2007年同所長。12年東京大学名誉教授。13年琉球大学理事・副学長、19年4月より現職。専門は海洋生物学、分子進化生物学。

自然に触れて自由に遊んだ

 生まれは京都市北区で、街中でしたが、木々の生い茂る京都御所や下鴨神社、鴨川などが近くにあり、自然が身近でした。外で遊ぶのも、本を読むのも、どちらも好きな子どもでしたね。小学5~6年の2年間だけ父の仕事の都合で三重県の名張市に移り、そこでは山や川、田んぼに囲まれていたので、自然の中で自由に遊びまわっていました。
 また、幼い頃は、曽祖父母、祖父母、両親、私と弟妹の4世代が一緒に住んでおり、10人近い大所帯でした。父は鉄道技師で、仕事熱心で生真面目な性格だったと記憶しています。母は気さくな人でしたが、勉強に対しては少々厳しかったですね。日々の躾は母が中心で、母の言うことを聞かずに好き勝手していると、最後は父に叱られる、という感じでした(笑)。
 小中学校時代の勉強は、教科の得意不得意があまりなく、理系の方がわかりやすいかな、というくらいでした。遊び感覚で学べる体育や音楽、美術などの副教科も好きでしたね。当時の京都の高校受験は小学区制で、進学する公立高校が学区ごとに決まっていました。入学試験はありましたが、特に難しくなく、普通に勉強していれば合格できるものだったので、のんびりとした空気の中で中学時代を過ごし、京都市立紫野高校に進学しました。

▲中学から大学まで、部活は必ず2つを兼部していました。新聞、美術、器械体操、写真、少林寺拳法など、文化系・体育系を問わずにいろいろ楽しみました。

高校では友達と一緒に勉強

 高校入学後ものんびりとした空気は残っていて、「大学はどうする?」という話になれば、たいして勉強をしていなくても皆が「京大に行こうかな」と言うような、冗談とも本気ともつかない会話が飛び交っていました(笑)。ただ、父が京大工学部の出身だったので、漠然とした憧れはあり、1年の終わり頃、英語や数学などは基礎をコツコツ積み上げないと先に進めないと気づきました。「今のままではまずい……」と感じ、親に頼んで家庭教師をつけてもらったのですが、友達と一緒だったことが功を奏しました。どちらかがサボると2人同時に進めることができないので、お互いが頑張った結果、成績がみるみる上がりました。
 もうひとつ、とてもラッキーなことに、お父さんが大学の物理学者だった友達に「親父と1対1は窮屈だから、一緒に習ってくれないか?」と誘われたのです。ちょうど物理も頑張らなければと思っていたので、ありがたかったですね。高校の授業では習わないようなことも教えてくださり、視野が一気に広がりました。
 そのような形で机に向かい、なんとなく父のあとを追って京大工学部を受験しましたが、合格には至らず。「浪人が当たり前」という時代だったものの、2浪は避けたかったので、改めて自分は何に興味があるのかを考え、農学部を目指そうと決めました。幼い頃から自然の生き物に触れて育ったので「生命とは何か?」を自ら研究したいと思ったのです。

魚から進化の過程を紐解く

 生き物の中でも特に魚が好きだったので、農学部では水産学科に所属。勉強していくうちに、生物を進化の視点から理解したいと思うようになりました。その手法として考えついたのが、種の中での変異に注目して、集団遺伝学的なアプローチで進化の過程を紐解くことでした。ダーウィンは『種の起源』で進化論を唱えましたが、それを“論”で留めておかず、「進化学」として追究するのはダイナミックでおもしろそうだと感じたのです。
 学部時代は海の魚を対象に卒論を書き、「勉強」とは異なる「研究」の醍醐味を実感し、そのまま大学院に進むことを決めました。そして新たに淡水魚の「小進化」を研究テーマに選びました。「小進化」とは、個々の種の内部で起こる進化のことで、新しい種が生じる「種分化」も視野に入っています。ちなみに「大進化」は、哺乳類、鳥類、両生類といった大きな系統の分岐に関わる進化を指します。私はアユを研究対象にし、川で生まれて海に下る個体と、琵琶湖にずっと留まって子孫を残し続ける個体とでは、遺伝的にどう異なるのかなどを調べました。
 
ロバート・チャールズ・ダーウィン。1809年生まれのイギリスの自然科学者。生命(種)の形成過程を自然選択という理論で構築し、あらゆる生物が共通の祖先から長い年月をかけて進化してきたという「進化論」を提唱。現代生物学の基盤になっている。

沖縄に赴任し、留学も経験

 アユの種内変異の研究の中で、琉球列島に生息する固有の集団がいることを発見して「リュウキュウアユ」と名づけました。琉球大学とはその頃から縁があって、大学院を終えた後、理学部海洋学科に助手の職を得ることができました。赴任後はさらにフィールドを広げ、琉球列島固有動物の保全遺伝学や保全生物学の研究を行いました。
 そして、1990年、京都で開催された国際シンポジウムで進化学の第一線で活躍する研究者たちの講演を聞き、以前から注目していたカリフォルニア大学バークレー校のアラン・ウィルソン博士と出会いました。それを機に客員研究員として2年間渡米。留学は人生のどの時期で経験するかによって得られるものが違います。私の場合は、就職して10年経ってからだったので、大学人としての明確な問題意識があり、最新の研究や海外の大学運営の手法など、専門的な内容を深く学べました。もし、同世代の親しい友人をたくさん作って言葉も上達したいのであれば、共に学び遊べる学部生や大学院生として留学するのがいいと思います。
 帰国後は新設される福井県立大学で生物資源学部の立ち上げに携わり、その後、東京大学の海洋研究所に移って研究活動を続けました。

▲カリフォルニア大学バークレー校の校門前で。

興味のあることを選び続けて

 琉球大学に戻ったのは2013年です。運営に携わる立場で、かつてお世話になった大学に恩返しができたら、と思っています。琉球大学は、当初、アメリカ軍政府立の大学だったこともあり、他の国立大学とは異なるバックグラウンドを持っています。また、ご存じの通り、琉球列島は日本唯一の亜熱帯地域で、生命の進化も言語文化も、他府県にはない唯一無二のものがあります。そのため、独自性の高いユニークな研究ができ、国内外からも非常に注目されています。今、関塾で勉強している皆さんの中に、今後ますます発展するアジア太平洋地域への玄関口としての沖縄に目を向けてくれる人がいれば、とても嬉しいですね。沖縄県外からも大勢の学生が来ていますので、魅力ある南国の地で自らの学びを究めてほしいと思います。
 勉強に関して言えば、私が高校時代に苦労したように(笑)、コツコツやらないと駄目なことはあります。思うように勉強が進められないという人は、やはり私のように友達と一緒に勉強してみるのがいいかもしれません。自分なりに工夫して、続けられる方法を見つけてくださいね。
 そして、やるべきことをきちんとやったら、好きなこともたくさんしてください。こうして人生を振り返ってみると、最初からこの道を進もうと決めていたわけではなく、その時々で興味のあることを選び続けた結果、今の私があるのだと感じます。だから皆さんも、いろいろなことに興味を持って経験してみてください。保護者の方は、お子さんがたくさんの経験を積めるよう、期待を持って見守っていただけたら、と思います。

▲生物をやるなら理学部かなとも思いましたが、父の助言で社会とのつながりの深さ、そして難易度などを考えた結果、農学部を選びました。でも、後に教員になったのは理学部でした。学問というのは様々な分野がつながっているので、どこから入っても自分が本当にやりたいことにたどり着けるものですよ。

関塾

タイムス編集部

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