2021年10月号 わたしの勉学時代 芸術文化観光専門職大学 学長 平田 オリザ先生に聞く

2021年4月に開学した芸術文化観光専門職大学(兵庫県豊岡市)は、芸術文化と観光の視点から地域の活力を創出する専門職業人の育成を目指す日本初の公立大学として、大きな注目を集めています。初代学長を務めるのは、現代演劇界の第一線で劇作家・演出家として活躍されている平田オリザ先生。高校時代の自転車での世界一周旅行のご経験や演劇を用いたコミュニケーション教育についてなど、興味深いお話が盛りだくさんです!

【平田 オリザ(ひらた・おりざ)】
1962年生まれ。東京都目黒区出身。劇作家、演出家。劇団「青年団」主宰。
86年3月国際基督教大学(ICU)教養学部卒業。在学中に結成した劇団「青年団」を率いて新しい演劇理論を確立し、国内外で幅広く活動。95年、代表作『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞受賞、以降受賞多数。演劇理論を活かした教育プログラムの開発など演劇教育活動も展開。2005年桜美林大学総合文化学群教授、06年大阪大学COデザインセンター教授、10年四国学院大学学長特別補佐、15年東京藝術大学COI研究推進機構特任教授などを歴任。21年4月より芸術文化観光専門職大学学長に就任。

人と違わないと駄目だと育つ

 私の名前の「オリザ」は、ラテン語で「稲」という意味で、食べるのに困らないようにとシナリオライターだった父がつけてくれました。両親と祖母、8歳上の姉との5人家族で、カウンセラーだった母は外で働いており、家で仕事をしていた父の横で本を読んだり文章を書いたりして過ごすことが多かったです。父は私を作家にしたかったので、物心ついた頃にはもう文章を書かされていたんですよ。例えば、欲しい物があれば、理由を原稿用紙に書いて企画書を出さないといけませんでした(笑)。「友達が持っているから」という理由は絶対に駄目で、「人と違ってもいい」ではなく、「人と違わないと駄目」だと育てられましたね。
 一方で、住んでいた東京・駒場の街は、東大のキャンパスがあり、商店街にも東大前と名前がつくほど東大が身近でした。小学生の頃から、少し成績が良いと「この子は東大に行く」と周りから言われるような環境で、中学受験をする子も多かったです。私も小学校の勉強はできましたが、なんとなく、この競争がずっと続くのも嫌だなと思っていて、公立中学校に進みました。

高校時代に世界一周旅行へ

 高校時代に自転車で世界一周旅行をしましたが、思い立ったのは中学2年の時でした。中学生になって自転車旅行を始め、次はどこに行こうかと計画を立てるのが楽しくて、中学3年で北海道、高校で日本一周など、先のことまで考えるうちに、最後は世界一周だなと気がついて、だったらもう先にやってもいいんじゃないかと思ったのです。そのために定時制高校に進学して、1年間働いてお金を貯めました。両親にも反対されなかったのですが、いずれ気が変わるだろうと思っていたようで、いざ出発という時になってすごく心配させてしまって、今思うと悪いことをしたな、と。
 高校2年の春から休学し、まずはアメリカを横断、次にヨーロッパを一周、それからエジプト、トルコ、インド、タイなどを訪れ、1年半かけて26か国を回りました。語り尽くせないほど様々な経験をしましたが、中でも初日のアメリカで、日本語を話せる同居人のいる自転車乗りの男性に出会え、旅行に役立つアドバイスをもらえたのは本当に良かったなと思います。また、今のようにどこでもインターネットが使える時代ではなかったので、旅先に父が様々な本を送ってくれたことがとてもありがたかったです。実際に外国を訪れてその国の文学作品を読むという贅沢な読書体験が、今の私の基盤を作ってくれました。

▲16歳の平田先生。世界一周旅行初日、北米大陸に上陸した時の1枚。

大学進学と劇団の立ち上げ

 高校3年の秋に日本へ戻り、作家になりたいと思って旅行記を書き始めましたが、一方であまりに多くの体験をしたことへの不安もありました。いわゆる「頭でっかち」の逆で「体験でっかち」、このまま体験しかない状態で社会に出るのは良くないのではないかと思ったのです。そこで大学入学資格検定(現 高等学校卒業程度認定試験)を受けて、大学受験をすると決めました。国立大学よりも試験科目の少ない私立大学なら1年間勉強すれば受かるだろうと考え、母の母校でもある国際基督教大学(ICU)を志望校に決め、翌年4月から予備校に通いました。入試直前の時期は1日約18時間も机に向かっており、人生で一番勉強しましたね。
 受験勉強をしながら旅行記を書き、合格後には受験記も書いて出版しましたが、当時は小劇場ブームで演劇が盛んだったこともあり、自分には戯曲(演劇の台本)の方が向いているかもしれないと感じました。そこで大学1年の時に戯曲を書き、劇団「青年団」を立ち上げました。
 とはいえ、演劇に打ち込むばかりではなく、大学での勉強も真面目にしていました。日本語に興味があり、近い文法の言語と比較したいと考えて、3年の秋から1年間韓国に留学し、留学で学んだことが演劇にも大きな影響を与えてくれました。また、卒論は社会思想史の武田清子先生のもと、大学院との合同ゼミで指導を受けました。武田先生に厳しく鍛えられたおかげで、大学院に進学していない私でも教授や学長を務められているのだと思います。

▲劇作家は一人の人間をいろいろな側面から見て描写する仕事なので、世界旅行で様々な国の文化や人間の側面を見ることができたのは良かったですね。また、海外の人と仕事をする上でも、他の日本人と比べて早く打ち解けることができるので、やはり若いうちから異文化に触れる経験をするのは大切だと思います。

演劇教育にも携わるように

 大学卒業後も演劇の仕事を続けると決めましたが、声を張り上げず実際の会話に近い発声をするという私の演劇スタイルは、当時「静かな演劇」と呼ばれ、とても新しいものでした。これは演劇ではないとの批判もあり、理解を得るためには丁寧に説明する必要があったので、新人に演劇を教えるワークショップを始めました。続けるうちに評判になり、高校や大学などの演劇指導にも呼ばれて、指導経験をもとに演劇理論の本を出版したら、国語教育の研究者から「この理論を中学校の国語の教材に載せたい」と声をかけられました。
 この教材開発をきっかけに公教育にも携わるようになったのですが、演劇を教育に取り入れたいというのは長年の願いでもありました。海外で演劇の仕事をすると、日本との違いを実感します。例えば、フランスなどヨーロッパの主要先進国では、小学校から高校まで演劇の授業があり、国立大学にも演劇学部があります。異文化理解能力が求められる国際社会ではコミュニケーション教育が欠かせず、その手法として演劇はとても有効なのです。今は日本でもディスカッション型の授業が増えていますが、日本の子どもたちは他者に合わせようという思いが強く、教員が納得するような答えを皆で出そうとします。しかし、国際社会で必要なのは、価値観をひとつにすることではなく、価値観の違うままでうまくやっていくことです。そこで演劇の出番なのですが、何でもいいわけではありません。意見が分かれるような設定を用意し、あくまで役として、劇としておもしろくなるように幅広く他者を演じることで、コミュニケーション能力を身につけられるのです。

好奇心を大事にして

 芸術文化観光専門職大学は、芸術文化と観光を結びつけた新しい大学です。どちらも人を楽しませることを目的としており、高いコミュニケーション能力が要求されます。また、どちらも人を集めることで収益を得る産業のため、コロナ禍では早い時期から大きな打撃を受けました。ですが、だからこそコロナ禍の先で人々が最も求めるものになるだろうと考えています。その日のために、芸術文化観光の未来を切り拓いていけるような人材を育てていきたいと思っています。
 関塾生の皆さんには、好奇心を大事にして、いろいろなことに興味を持ってほしいですね。好きなことはオタクと言われるくらいまで掘り下げること。それから、わからないものを遠ざけないこと。わからないものでも、どうしてこうなるんだろうと考えてみましょう。その姿勢が先ほどお話しした異文化理解能力、コミュニケーション能力にもつながります。そして、保護者の方にも好奇心を持ち続けていただきたいと思います。子どもは親の言うことを聞かなくても、やることは見ているものです。様々なことを楽しむ姿を子どもに見せることが大事です。もし私の話で演劇に少しでも興味を持っていただけたのであれば、ぜひ近くの劇場などに足を運んで親子で楽しんでみてください。

▲高校で世界旅行をしたと聞くと、英語が得意だったのだと思うでしょうが、実は苦手でした。中学1年の1学期は良い成績がとれたのに、夏休みに遊んでばかりで全く勉強しなかったら、見事に忘れてしまったのです(笑)。旅行でしゃべれるようにはなりましたが、未だに苦手意識があって中1の夏が悔やまれるので、皆さんは遊び過ぎないようにしてくださいね。

関塾

タイムス編集部

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