2021年7月号 わたしの勉学時代 一橋大学長 中野 聡先生に聞く

1875年に森有礼が開いた商法講習所を起源とする国立大学法人一橋大学は、商・経済・法・社会の4学部を擁する社会科学の総合大学です。国際的に通用する産業界のリーダーたり得る人材の育成を使命とし、創立以来、多くの有為な人材を輩出し続けています。2020年9月より学長に就任された中野聡先生は、ご自身のフィリピン史研究の経験をもとに、歴史や他者との向き合い方についてお話しくださいました。

【中野 聡(なかの・さとし)】
1959年生まれ。東京都世田谷区出身。社会学博士(一橋大学)。
83年3月一橋大学法学部卒業。85年3月同大学大学院社会学研究科修士課程修了、90年3月同博士課程単位取得退学。同年4月より神戸大学教養部講師、92年より同大学国際文化学部講師、94年より助教授。同年9月フィリピン大学客員研究員。99年4月より一橋大学社会学部助教授、2000年より同大学大学院社会学研究科助教授、03年より教授。05年コロンビア大学客員研究員、13年ジョージ・ワシントン大学客員研究員。一橋大学大学院社会学研究科長・社会学部長、副学長を歴任し、20年9月より現職。専門はアメリカ史、アジア太平洋国際史、米比日関係史。

東京都内を転々と引っ越し

 生まれも育ちも東京で、国家公務員だった父の異動に伴って、公務員宿舎を転々としました。最初は世田谷区の三宿、5~6歳頃からは同じ世田谷区の用賀、小学3年の3学期からは目黒区、最後が高校1年からの新宿区です。用賀から目黒区へ引っ越した時は転校もして、がらりと環境が変わりました。当時まだ田畑が残っていて友達と外を駆け回って遊ぶことが多かった用賀では、私はいつもビリだったのですが、目黒区の都会っ子ばかりの小学校に転校した途端、なんと先頭を走るように。そのくらい環境が違って、私もどんどん都会っ子になっていきました。本を読むのは当然好きでしたし、ピアノも習っていました。
 母は高校で英語の非常勤講師をしており、共働きだったので、3つ上の姉と留守番することが多かったです。小学校高学年の頃は、母の教え子だった東大生のお兄さんが家庭教師代わりに来てくれていたのですが、勉強というより遊び相手という感じで(笑)、いろいろな話をしてくれて、楽しい思い出のひとつです。両親とも放任主義で、好きなことを自由にさせてくれました。勉強も自然と好きだったので、小中学校では特に苦手な教科もありませんでしたね。

国立文系を目指し、一橋大学へ

 高校受験は今よりも内申書の比重が大きく、入試のために苦労して勉強したという記憶はあまりありませんが、当時の都立高校は*1学校群制度。姉が楽しそうに通っていた青山高校に行きたかったのに、戸山高校に振り分けられ、すごくがっかりしました。ところが、いざ入学してみると、戸山高校は伝統のあるすばらしい学校で、多くの優れた先生方に出会えました。同級生と活発なディスカッションを交わした国語や、先生独自の横に長い年表で世界のつながりが見えた世界史など、今でも記憶に残る授業がいくつもあります。
 ただ理系科目、中でも数学にだんだんと苦手意識が出てきて……進路は文系に進みたいというか、進まざるを得ないという感じでした。文系なら文学部か法学部、父が東大、祖父が早稲田大学を出ていたので、それらを受験し、東大は落ちて早稲田大学の法学部に入りました。しかし、やはり国立大学にと思い、翌年、一橋大学法学部を受験。苦手な数学ばかり勉強していて、論述問題が多い一橋大学の数学なら解けるのではと感じたのですが、受かったものの勘違いも甚だしかったです(笑)。

*12~3校の高校で群を作り、その中で学力が均等になるように、合格者を本人の希望にかかわらず振り分ける入試制度。

▲高校の頃、一橋大学(戦前は東京商科大学)出身の作家の伊藤整が好きで、彼が大学時代のことを書いていたというのも一橋大学に興味を持ったきっかけのひとつでしたね。

ずっと持ち続けていた疑問

 法学部では国際関係分野に進みました。政策論、国が間違うのはなぜか、ということに興味があったからです。世界の歴史を見ると、戦争など大きな犠牲の出た、明らかな間違い、失敗だとされるできごとが多くあります。なぜそのような失敗が避けられなかったのか、国家の政策を決める立場にあった人たちはなぜ間違ってしまったのか。そういう疑問をずっと持っていました。
 きっかけは高校生の頃、私が生まれる前に亡くなった父方の祖父が戦前の新聞に書いていたコラムを読んだことです。祖父は法律学者で国家や軍に近い立場であり、「これからは*2全体主義の時代です」など、戦後の教育を受けた私とは正反対の価値観、今では否定される考えを肯定的に書いていて、大きな衝撃を受けました。また国家公務員の父も国家に近い立場です。祖父や父のような身近な人、もしかしたら私だって、そうした立場にいたら間違えてしまうかもしれない、どうしてこんなことが起こるんだろう、と考えるようになりました。
 大学時代、最もメジャーなテーマがアメリカのベトナム戦争での失敗だったので、恩師にあたる油井大三郎先生のゼミでアメリカ現代史を学びました。社会学部のゼミでしたが、一橋大学の良さのひとつに学部間の垣根の低さがあり、他学部のゼミでも自由に参加できるのです。将来についてはいろいろと迷っていたのですが、4年生のある日、油井先生に「大学院を受けるなら甘くないからちゃんと勉強しなさい」と、進学が当然のように言われて、それでちゃんと勉強して社会学研究科に進みました。

*2個より全体を優先させる主義。個人の自由を認めず、全てを国家の統制下に置く政治体制。

フィリピンと深く関わることに

 アメリカ史の中で、当時あまり研究されていなかったフィリピンとの関係を研究テーマに選び、メインはアメリカとはいえ、やるからには少しは知らなければと、観光半分の気持ちで、修士1年の8月、フィリピンに3週間滞在しました。その最中、*3アキノ議員暗殺という大事件が起こったのです。事件後の政府による情報統制や、アキノ議員の死を悼んで何百万人もの人々が街頭に出て棺を見送るなど、それまで全く経験のないことで、世界の現実を目の当たりにした衝撃があり、フィリピンに深く関わるきっかけとなりました。
 その後、神戸大学の教員時代に、第2次世界大戦中の日本のフィリピン占領に関する共同研究に参加することになり、元軍人・文官・学者・在留邦人など当時の関係者の方々に直接話を伺う機会を得ました。それまでは戦争犯罪や残虐行為といった暗い印象しかなかったのですが、実際に話を聞くと、現地で多くの経験を得た、フィリピンの人々の言葉で考えが変わった、非常に学んだという人が多く、大変驚きました。そこで、教科書に載っているような事実だけではなく、そこにあった人々の多様な経験も含めて伝えることが歴史には必要なのではないかと考えるようになりました。日本人が過去の戦争から何を学んだのか、他国とどう関わってきたのかをきちんと知ることは、これからの国際社会においても重要だと感じます。

*31983年8月21日、マルコス大統領独裁体制下のフィリピンで政敵のベニグノ・アキノ上院議員が暗殺された事件。これを契機に反独裁運動が起こり、マルコス政権崩壊へとつながった。

▲大学院生の頃の中野先生とお父様。旅行中の1枚。

謙虚な姿勢で他者と向き合う

 私の経験から言うと、多様な人の話に謙虚に耳を傾けることで、学びを得られるのだと思います。ですが、関塾生の皆さんのような若い人には、まず自分を作ることが大事です。人に何を言われようと、好きなものは好きでいていいのです。本でも漫画でもゲームでもスポーツでも、好きなものを見つけてください。そうして自分の座標軸、考えの基準を作ってこそ、違う基準を持つ他者との出会いに意味が出てきます。
 ただその際、自分の好き嫌いで相手を判断しないように注意してください。今回のアメリカ大統領選挙で、アメリカ国内に大変な分断があることを私たちは目の当たりにしましたが、決してアメリカだけの問題ではありません。現代社会で起こっている様々な分断の背景には、SNSの影響があると指摘されています。SNSでは自分と考えが近い人を見つけやすく、好みの情報で周りを囲んで、嫌いな情報を排除することが簡単にできてしまいます。そうではなく、自分とは異なる意見、立場の違う人たちの話にこそ、積極的に耳を傾けてください。きちんと話をすれば、立場が違うままでもお互いがなぜそう思うのかについて合理的な理解はできるはずです。そうした謙虚な姿勢で他者に向かい合うことが、社会の問題を解決する手段となるでしょう。

▲数学が苦手だった私が言うのもなんですが(笑)、今は少し文系の人が理系科目を諦めるのが早すぎるのではないでしょうか。文系でも数学のリテラシーがある程度必要だと痛感しているので、幅広く学んでほしいと思います。

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