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2019年12月号 特集②

笹原先生が漢字の世界に夢中になるまで

 小学5年生までは漢字にほとんど興味がなく、たくさんあって覚えるのが面倒だと思っていた笹原先生。漢字テストでは教室の掲示物の中に答えを探していたと笑います。そんな笹原先生が漢字の魅力に気づいたきっかけや、研究者になるまでのお話をうかがいました。

漢和辞典ってなんだ?

 「タコって漢字知ってる?」。
   小学5年生の時に、教室でそんな会話が聞こえてきました。私は当時、漢字に興味はなかったんですが、たまたま『蛸の八ちゃん』という漫画を父が持っていて、タコってこんな字を書くんだと知っていたんですね。でもクラスの子は「魚へんに消しゴムの消の右側みたいなのを書く」と説明していて、あれ? 虫へんじゃないの?って。不思議に思って聞き耳を立てていると、「漢和辞典に載っていた」と言っていたんです。
 漢和辞典がどんな辞典かわからなくて、兄の部屋で探して見つけました。「タコ」を引くと、確かに虫へんも魚へんも載っていて、両方あるんだとわかったんです。でも、漢和辞典ってなんだ?と、辞典そのものに興味がわいたんですね。見ていくと、知っている字もあれば知らない字もあって、なんだかおもしろい。これが最初に漢字がおもしろいと思ったきっかけですね。

  

当て字がおもしろい!

 最初は、漢和辞典を見ているだけで、おもしろくて楽しかったんですが、中学生になると、たくさん頭の中に覚えたものを整理してみたくなったんです。当て字が一番おもしろかったので、様々な辞書から例を集めてノートに書き写しました。
 例えば、「クラブ」や「コンクリート」。英語ですが、当て字があって、「クラブ」は、倶に楽しむ部で「倶楽部」、「コンクリート」は、混ぜて凝りかためる土で、「混凝土」と書きます。部や土で終わっていて、音だけじゃなく意味も合った字を使うという発想が素晴らしい。英語と漢字はもともと何の関係もないのに、日本人が音と意味を当てはめて上手に選んでいて、大人ってすごいなあと感心しました。
 その集大成として『當て字大辭典』と名前を付けて、決定版を作りました。当時、当て字辞典はなく、国語辞典と漢和辞典では載っている字が違うものがあって、これは自分が網羅してきちんと整理しなきゃいけないと、義務感に駆り立てられたんです。
 逆に、大人を疑うようなこともありました。アメリカは米国、イギリスは英国というように、海外の主要国には漢字の当て字が作られています。ニュージーランド大使館が、自分たちも国名を漢字1字で表したいとアイデアを募集した時、私の『當て字大辭典』で確かめると「新西蘭」とありました。これは「新」しかないと思って応募したんですが、1位となったのは「乳」でした。大人になった今なら、酪農が盛んな乳製品の国という印象から選ばれたのだと納得できますが、当時の私は、「乳」の字の印象がどうしても国名と結び付かず、大人たちは情けないとまで思いました。結局、「今後は酪農ではなく、重工業に力を入れたい」という本国の意向で「乳」の案は却下され、今も決まっていません。皆さんはどんな字がいいと思いますか?

「今でも役に立っていますね」と、お手製の『當て字大辭典』で「混凝土」や「新西蘭」の項目を引きながら説明してくださいました。

「おもしろい」から「なんでだろう」に

 とにかく漢字のことを知りたくて、漢字ばかり勉強していたんですが、そのうちなんでこう書くんだろうと疑問が出てくるようになったんです。それで本を調べてみたら、ある程度、それぞれの字の奥行きや背景がわかるようになって、それを知る喜びが勝っていきました。ここが研究者の道へと進む転換点だったんでしょうね。
 とはいえ、中学生の頃はどうしたら研究者になれるかわからなかったんです。ただ、漢和辞典の最後の方に「大学教授」と書かれていたので、大学教授というものになればいい、大学に入って教わればいいんだろうと思って、高校生になってから突然、他の教科も真剣に勉強するようになりました。高校の先生方に相談したところ、どの先生も親身になってくださったんですが、「漢字だけで食べていくのは無理だろう」という話ばかりで。結局「どうすればいいんだろうね」と先生方を悩ませていましたね。
 でも、大学に入ってみると、「自分の専門分野とはちょっと違うけれど、漢字についてこういうことやってるよ」と、多くの先生が様々な視点から教えてくださいました。それで、最初は中国文学、中国の漢字を中心に勉強していたんですが、大学院に行く頃には、日本の漢字の方がおもしろいと思うようになって、日本文学、日本語学に専攻を変えました。その中でも、大昔の漢字よりも、後代の漢字、現在の漢字がどう使われているのかを中心に調べています。

漢字のこれまでとこれから

 「今調べている漢字が一番好きな字です」と言って、次から次へと様々な漢字の実態と背景を調べていく笹原先生。特に、日本の漢字については、中国から伝わった頃から現在に至るまで、広く研究されています。そんな漢字の移り変わりを詳しく教えてもらいましょう!

「訓読み」や「国字」が生まれた

 漢字は中国で生まれ、どんどん増えていきました。例えば、「木」。幹と枝と根がある実際の木の形を文字にしたものです。その「木」を2つ並べると「林」、3つ並べると「森」です。また、「木」の下の方に印を付けると根本の「本」、上の方に印を付けると木末(梢)の「末」です。半分に割って右だけを取ると、片方の「片」になります。このように、漢字はひとつ作られると、そこから派生して他の文字が新たにできていきます。
 日本に伝わると、まず読み方が増えました。日本人は高く盛り上がった土地のことを「やま」と言っていましたが、同じものを中国人は「サン」と言って「山」と書いていました。そこで日本人は「山」と書けば、「サン」だけではなく「やま」と読ませることもできるのではないかと考えた。これが訓読みです。
 そして、元から使っている言葉にふさわしい中国の漢字がない時は、新しく文字を作り出しました。これを国字と言います。私の名字「笹原」の「笹」も国字です。中国ではパンダが食べる植物を「竹葉」と言っていました。日本人はそれを1字で書きたいと思ったのですが、「竹」と「葉」をつなげると縦に長過ぎます。そこで、「竹かんむりがあるなら草かんむりはいらないだろう」「木ではないから木もいらないだろう」と、いらない部分を取って、残ったのが「笹」だったようです。室町時代に現れ、江戸時代に入って急に広まる字で、広まった理由をずっと調べていますが、まだわかっていません。他に「働」「畑」なども国字です。

しっくりきたものが定着していく

 漢字が増え過ぎたため、戦前の日本には5000字を使いこなす人がいる一方で、1字も書けない人もいました。そこで戦後の1946年、日常的に使う漢字を減らして、学校で皆に同じように教えよう、と制定されたのが当用漢字です。そのおかげで多くの人たちが同じように漢字が使えるようになりました。ですが今度は、使う漢字が制限され過ぎていて不便だと不満の声が上がりました。そのため、1981年、決められた漢字以外は使ってはいけないという当用漢字から、あくまで目安であり、それ以外の漢字も必要に応じて使ってもいいという常用漢字に替わったのです。
 とはいえ、この常用漢字も情報社会の発展につれて、実際の使用状況にふさわしいものではなくなってきました。そのため、2010年に改定が行われ、私も選定に関わりました。選定には、子どもたち、小中学生が普通に使っている字は入れたいという強い思いをもって臨みました。例えば、雑巾の「巾」という字。小学校で配られるプリントなどには普通に書いてあるのに、習わないから間違える人も多い。これは入れるべきだと主張して、採用されました。子どもが理解して使っていても入っていない字はちゃんと入れるべきだと思っています。今回、主張したものすべてが入ったわけではなく、まだ現実とずれているところもあるので、次の世代の方々に引き続き考え続けてほしいですね。
 常用漢字には採用されなくても、世の中に広まって、辞書に載ったり、パソコンで変換できたりするようになった字もあります。「秋桜」と書いて「コスモス」と読む当て字もそのひとつ。元から「しゅうおう」「あきざくら」という読みとコスモスという意味はありましたが、「コスモス」といきなり読ませるのは*1山口百恵さんの歌から始まったものなんです。当時の私は、辞書に載っているものが絶対だと思っていたので、こんな読み方は辞書に載っていない、勝手に当て字を作るなんて、と許せなかったんですが、世の中にあっという間に広まりました。考えてみると、日本人は秋も桜も好きで、好きな要素を盛り込んだ当て字なんですよね。皆が秋の桜だとコスモスを再評価して、大好きな当て字になったわけです。許せないながらもだんだんわかってきたのは、こうしてしっくりきたものは定着してしまうんだということです。日本人の心にしっくりきたものが日本語として正しいものになるんだと、教えてくれた例でした。

素敵な漢字を選べるように

 私が辞書だけが正しいと信じて疑わなかったように、今の若い世代は、インターネットで検索したり、スマートフォンで変換したりして、出てきたものがすべて正しいのだと思い始めてしまっています。漢字のとめはねなどもそれに従うのが正しいと思い込んでしまっている。これは危ないことです。そもそも、とめはねというのは、本来もっと緩やかなもので、別の字にさえならなければどちらでも良かったんです。
 これは世の中全体も窮屈に思い込んでしまっていましたが、3年前に文化庁が字体や字形について審議会を開き、私も副主査を務めて、緩やかでいいという指針を改めて示しました。書く目的や気分、個性によって、自由にとめたりはねたりして構わないんです。そういう選択肢があっていいんですが、今は、正しいものはひとつで機械や教科書に合わせないといけないと、選択肢をなくしてきていて、そのことが漢字文化を細らせてしまっています。
 とめはね以外でも、漢字は場面によって使い分けていいんです。例えば、「想い」という訓読みは*2表外訓で、学校で習うのは「思い」だけ。でも、初恋の想いや片想いのような場合は、相手に対する心だからこっちを使うんだと言い始める人があちこちに現れて、これも皆大好きになったんですね。日本人の思い込みで、中国人はそんなことを考えて作った字ではないんですが、日本人はもうそんなふうに字を育ててしまったんです。これはこれで素敵なことで、そうやって使えばいい、大切な人に対する気持ちは「想い」で伝えればいいと思います。
 今後、新学習指導要領にもあるように、多様性を大切にしていく社会になっていきます。日本人が使ってきた漢字も多様性を大切にしてきていて、今はその多様性が増して混乱の状態にあります。でも、この混乱の中から新しいものが生まれていくはずです。皆さんには、その多様性の中にいる、多様性を作り出す一人として、活躍していってほしいですね。ただそのためには、基礎を勉強することが大切です。とめはねも、少し間違えると別の字になってしまうものがあって、そこは気をつけなくてはいけません。そういう基礎をしっかり勉強して、漫画や小説などで大人たちがどんなふうに使っているのかもどんどん取り込んで、場面場面で最適なものを繰り出せるようになりましょう。最適なものがないと考えれば自分で作ったっていい。その場面に一番ピッタリの素敵な漢字を選べる人になってください。
*1 1973〜1980年に活躍した歌手。『秋桜』は1977年のリリース。
*2 常用漢字の表に採用されていない訓読みのこと。音読みの場合は表外音。