• わたしの勉学時代

2026年3月号 わたしの勉学時代 京都産業大学 学長 在間 敬子先生に聞く

1965年の創立以来、将来の社会を担って立つ人材を産業界に輩出し続けている京都産業大学。2026年4月の「アントレプレナーシップ学環」の新設に加え、既存の文化学部を再編・強化することで新たな学びを提供し、新しい時代の要請に応える起業家精神と次代の文化価値を生み出す力を育成します。在間敬子先生は、大学時代は理学部、大学院では経済学を専攻。文理の両方の視点をもって教育と大学運営に携わっておられます。

【在間 敬子(ざいま・けいこ)】

1961年生まれ。大阪府出身。博士(経済学)(京都大学)/博士(工学)(東京工業大学)。

84年3月大阪大学理学部卒業、同年4月東レ株式会社開発研究所入社。在職中から環境問題を考える市民活動に参加。96年京都大学大学院経済学研究科 修士課程 現代経済学専攻 修了、2001年同研究科 博士後期課程 経済政策学専攻 修了。02年専修大学商学部専任講師、04年助教授。07年京都産業大学経営学部准教授、11年教授。以降、教育支援研究開発センター長、経営学部長を歴任し、21年副学長。24年10月京都産業大学学長就任、現在に至る。専門は環境経済学、環境経営論、社会シミュレーション。

自分で決めることが大事

 中小企業や町工場が集まる東大阪市が私の生まれた町です。幼い頃のことといえば、優しかった祖父のことが思い出に残っています。習字を習っていた時期があり、書いたものを持って帰ると祖父がそれを机の上に全部並べ、先生の評価にかかわらず、「これがいいね」と選んでくれました。そんな姿を見て、物事は自分の視点で選んだり決めたりすることが大事なのだと子どもながらに感じました。
 小学校では、教科の得手不得手を意識することなく授業を受けていました。ただ、運動があまり好きではなく、体育は苦手でした。家でやる勉強は宿題だけで、帰宅するとまず友達と宿題をさっさと済ませ、それから遊んでいました。先にやっておくとラクだとわかっていたのでしょうね。夜は姉と一緒に好きなテレビアニメや歌番組を見て過ごしました。
 友達との遊びは、外ではゴム跳びや紙風船遊び、家の中では人形ごっこ。学年が上がるとお菓子作りも楽しみました。本が好きで、高学年になると推理小説にはまり、アガサ・クリスティのミステリー小説を好んで読んでいました。

 イギリスの推理作家(1890~1976)。“ミステリーの女王”と呼ばれ、代表作のひとつ『そして誰もいなくなった』は世界で約1億部の売り上げを記録。

プリントの裏に自ら作問

 中学に進むと、家の近くにあった“寺子屋”風のアットホームな塾に通い始めました。親に勧められたわけではなく、姉が先に入っていて、自然な流れで私も……と。そこで教わったのは、問題の解き方ではなく、勉強のやり方です。コツをつかむと、復習やちょっとした先取り学習が自分でできるようになりました。あとで知ったのですが、その塾は小さいながら近所でも評判だったようで、通っていた生徒の何割かが進学校の高校に合格していました。私も、歴史があり高い進学実績を誇る大阪府立天王寺高校に入ることができました。
 中学時代のテスト勉強を振り返ると、自分で工夫することを楽しんでいたように思います。プリントの裏に自分で作ったオリジナル穴埋め問題を書いたり、クイズのように問題を仕立てたり……。自作自演ならぬ“自作自解”ですね。どれほどの学習効果があったかはわかりませんが(笑)。高校受験の勉強も、塾の指導のおかげで問題集を計画的にこなせるようになり、「演習する→間違えたら解き直す」を繰り返したことで力がついたのではないかと思います。

▲中学時代はコーラス部に所属。少人数でしたが、歌と音楽が好きな女子ばかりが集まり、和気藹々とした雰囲気の中で練習ができ、とても楽しかったです。

姉に一喝され受験モードに

 高校では数学研究会に入りました。と言うと、いろいろな大会に挑むハイレベルな活動をしていたのだろうと思われがちですが、実際にやっていたのは、科学雑誌などに載っている数学のパズルを解くといった遊びの延長のようなこと。パズルやアルゴリズムを趣味のように楽しんでいました。
 大学の進路は、生物や物理の先生の影響で理系科目が好きだったので、理学部を志望しました。特に、物理の先生がおっしゃった「物理学は真理の探究だ!」という言葉が胸に刺さり、物事の現象を見つめ、自ら実験して確かめ、論理的に実証して真理を探究したいと思いました。
 受験勉強のスイッチは、高校2年の終わり頃に入った……というより、姉に押してもらったといった方がいいかもしれません。成績は入学時から学年の上位にいたので、「中学の時からの勉強をこのまま続ければいい」と思っていて、勉強の合間には息抜きに数学のパズルを楽しんでいました。そんな私の姿が姉には呑気に映ったのでしょう。「あんた、もう受験期よ! 一度図書館に行って、みんながどれだけ必死に勉強しているか見てきなさい!」と一喝されました。早速図書館へ向かい自習室に入ると、受験生たちは黙々と参考書や問題集に向き合っていて、中には同じクラスの友達も。その雰囲気に圧倒され、これまでの勉強と受験勉強は全くの別物なのだと思い知らされました。

理系を経て経済の分野に

 大学は自宅から通える大阪大学の理学部に進学し、高分子学科に入りました。学部時代の4年間は、勉強だけでなく、運動が苦手だったにもかかわらずスキーに行ったり、『万葉集』の研究で有名な犬養孝先生の講演を聞いたことがきっかけで「万葉旅行の会」に入ったりと、様々なことを楽しみ、充実した日々でした。
 卒業後は、東レ株式会社の開発研究所に就職。大学の研究室で得た有機合成の知見を活かし、炭素繊維に含ませる樹脂の開発などに携わりました。研究職はとてもやりがいのある仕事でしたが、一方でモヤモヤすることも。当時はリサイクル技術が未発達で、環境問題がクローズアップされ始めた時代。試験済みの材料が廃棄されることによる環境面への影響が気になるようになり、このモヤモヤを何とかしたいとの思いから東レを退社。公務員として働きながら環境問題に取り組む市民活動に参加し、その後、熱帯林の認証制度といった制度デザインの研究をするために京都大学の大学院に進みました。
 大学院時代は多忙を極めました。修士課程2年の時に出産し、博士後期課程は子育てをしながらの研究生活。学位取得には5年と少しかかりました。就職できるか不安でしたが、東京の専修大学に専任講師として採用されました。京都住まいだったので、応募する時はかなり悩みましたね。そんな私の背中を押してくれたのは夫です。採用が決まると、「やれるところまでやってみれば」と言ってくれました。講義がある前日は子どもを寝かしつけてから、京都駅23時発の寝台特急「銀河」に飛び乗って東京へ­――といった生活でした。

▲運動が苦手なのに大学の体育の開講科目でスキー合宿へ。先生に置いていかれてもめげず、お父様が小さいお子様に教えているところに「私にも」とお願いして、一緒に教えてもらいました(笑)。

自分で自分を鍛えよう

 経営学部の准教授として京都産業大学に赴任したのは、2007年です。今、学長の立場でゼミの授業だけ担当させてもらい、時代の必須である環境を考慮した企業経営のあり方や考え方を教えています。
 本学が全学的に注力しているのは、学生が主体的に問題を発見し、解決する方法を考え、実践する力を養う教育です。幸い今の学生は、教えられるより、拙くても自分で考えてトライする人が多いようで、頼もしく感じています。その後押しをするのが大学の役目です。
 これからの時代はDXがますます進みますから、AIを適切に使いこなせる力も身につくように導かなければなりません。そのスキルをもって社会に出れば、自分が携わる仕事はもちろん、山積する社会課題の解決策もより具体的に思案できるでしょう。そして、大学はもっとオープンであるべきだと思うので、学生が社会に出て「こんなことをしたい」と感じた時に、再び、何度でも大学に戻って学べる環境と仕組みを新たに構築したいと考えています。
 受験勉強に向き合う中高生の皆さんは、まず“できる”ことからスタートし、“できる”ことをコツコツ積み重ねていってください。そこで勉強のおもしろさに気づいたら、さらに“できる”ことを自ら追い求めていけるようになります。私はよく学生に「自分を鍛えてあげられるのは自分だけ」と言っています。「挑戦したい」「もっと成長したい」と思った時は、自分を一歩前に進ませる“鍛え時”です。その過程をしんどいと思わず、楽しめるようになれば、どんなことにも前向きにチャレンジできますよ。