- わたしの勉学時代
弘前大学は青森県唯一の国立大学です。「世界に発信し、地域と共に創造する」をスローガンとし、2029年に創立80周年を迎えます。福田眞作学長が掲げる目標は、弘前大学を「日本一、学生に優しい大学」にすること。また、文部科学省が日本全体の研究力を牽引する研究大学群を作るために創設した「地域中核・特色ある研究大学強化促進事業(J-PEAKS)」に採択され、グローバルWell-being共創社会の実現に向けても取り組んでおられます。
【福田 眞作(ふくだ・しんさく)】
1956年生まれ。秋田県出身。医学博士(弘前大学)。
1985年弘前大学大学院医学研究科修了。同年弘前市立病院嘱託医師。88年弘前大学医学部附属病院第一内科医員。94年同大学医学部助手、98年医学部附属病院助教授。2007年同大学大学院医学研究科教授、12年医学部附属病院副病院長。以後、同大学教育研究院医学系(大学院医学研究科専任担当)教授、医学部附属病院長を経て、20年国立大学法人弘前大学長に就任、現在に至る。専門領域は消化器内科学。
秋田県の農村地域で、農業を営む両親のもとに生まれました。3つ上に姉がいて、私は長男。幼い頃は祖父母も同居し、米作りを手伝っていました。農閑期には父が出稼ぎに行っていた記憶もあります。
私はおとなしくて手のかからない子どもだったようです。田んぼのあぜ道や畑で虫捕りや土いじりをして遊び、親に叱られた記憶はありません。反対に姉はいたずらっ子で、目を離すとすぐどこかに行ってしまうので父によく叱られていました。父は厳格なところもありましたが、公平で優しく、母はいつも私の味方でいてくれました。
私が住んでいた地域に幼稚園はなかったので、小学校に通い始めた時はとても新鮮でした。先生や同級生がいっぱいいて、教科書があって、授業を受ける……それらすべてが初めての経験で、勉強がすごく楽しかったですね。どの科目の教科書も隅々まで読み、スポーツも大好きでした。当時は男子は野球部、女子はバレーボール部くらいしかなくて、私は野球部に入り、ピッチャーを務めました。
小学校も中学校も2クラスしかなく、同級生は皆、友達です。顔ぶれが変わらないので中学に入っても大きな変化はありません。ただ、ピッチャーを頑張り過ぎて肩を痛めてしまい中学からはショートに。陸上部員も兼ね、1500mと三段跳びの選手になりました。
中学に入ると、私は地元新聞の「中学生教室」というコーナーを教材にするようになりました。中学で習うすべての科目の問題が毎日載っていて、それを切り抜いて綴じ、繰り返し解きました。市販の問題集をたくさん買っている友達もいましたが、人は人。わが家はあまり裕福でなかったこともありますが、教科書と「中学生教室」で基礎力をしっかりつければ応用問題も解けるとわかりました。私は問題を見ると解きたくなる性分で、今も新聞にクイズが載っていると時間を忘れて熱中してしまいます(笑)。
高校進学に関しては、野球部監督でもあった3年のクラス担任に感謝しています。私は姉と同じく、自宅近くの高校に通うつもりでしたが、先生が県南にある進学校の秋田県立横手高校を強く勧めてくれたのです。横手高校へは自転車、電車、バスを乗り継いで片道2時間。交通費に加え、冬季は下宿代もかかるため悩みましたが、先生に勧められたことを親に話したら、喜んで認めてくれました。毎朝5時半起きは大変でしたが、電車で過ごす1時間は予習と復習をすると決めて勉強に集中。横手高校は勉強好きな生徒が多く、学びの環境としては非常に良かったと思います。私は数学や化学、物理が得意で、暗記ものは少し苦手。典型的な理系人間でした。
高校は3年のクラス担任の先生が思い出に残っています。口は悪いけれどユーモアがあり、勉強への意欲を駆り立ててくださって、私の成績も学年トップクラスまで伸びました。特に好きだったのは化学。一方で、医師になりたいという夢もありました。
▲幼い頃、優しかった父と(上)。内視鏡医として勤務していた30歳の頃(下)。
大学進学に関して両親は、学費の安い国立を条件に「挑戦してみなさい」と背中を押してくれました。担任の先生からは「医学部でも化学の研究はできる。難関だけど医学部も受験してはどうか」とアドバイスをもらい、東北大学理学部と弘前大学医学部を受験。両方とも合格し、両親の希望もあって、多くの人の役に立てる医師になろうと弘前大学医学部への進学を決めました。大学受験は私の人生の大きな分岐点でしたね。
医学部に決めた理由には、自分自身の健康上の問題もありました。中学生の頃から便に血が混じる血便が時々あり、病院で何度か検査をしたのですが、原因は不明。出血の度に「このまま死ぬのだろうか」と不安が募りました。大学2年の頃、貧血になりそうなほどの出血があり、弘前大学医学部附属病院を受診。すると先生は、問診だけで「大腸ポリープだろう」と。内視鏡検査をしたところ若年性ポリープが見つかり、除去手術を受けて長年の不安が解消しました。私が中学の時はまだ内視鏡がなく、一般的なX線検査では見つけられない位置にポリープがあったのです。
その手術の際、執刀医から事前に詳細な説明を受け、検査中も「ちょっと痛いですよ」「もう少しで終わりますからね」といった言葉をたくさんかけてもらいました。自分も将来はこんなふうに患者を安心させられる医師になりたいと強く思いました。
大学では「大腸の消化と吸収」をテーマに研究。当時、大腸の役割は水を吸収して便をつくるというのが定説でしたが、よく調べると、100兆個もの腸内細菌が互いにバランスをとりながら健康を保っているなど複雑な機能を持つ臓器であることがわかり、研究のしがいがありました。
▲中学3年時の担任の先生の後押しがなければ横手高校に行くことはなく、その後の大学進学や医師への道は開かれなかったと思います。
大学時代は研究以外にも、好奇心の赴くままに何にでも夢中になりました。まさによく学び、よく遊ぶ、でしたね。ボーリングや麻雀に興じ、卓球部にも所属。卓球は未経験から始めて、卒業時には賞状をもらえるまでになりました。何をするのも仲間と一緒で、彼らは今も私の大事な友人です。
これまでを振り返ると、学校は仲間づくりの場だと改めて思います。勉強だけでなく、友達とのいろいろな経験は人間形成の上でとても貴重です。受験勉強一辺倒だと、学校が楽しくなくなってしまうでしょう。何事もそうですが、楽しくなければ長続きしないし、身にもなりません。まずは「なぜこうなっているのか?」「これはどんな仕組みだろう?」と疑問を持つことが大切です。それを調べて解決すれば、自分の知識となり、さらなる意欲にもつながります。勉強はマイペースでいい。疑問を持ち、調べ、解決する――。その繰り返しで学力は自然に身につきます。保護者の皆さんは、お子さんの「これは何?」「なぜ?」を大切にしてあげてください。
▲勉強は“受験のためにするもの”と考えず、謎解きをするような気持ちで取り組めば、学ぶことが楽しくなるんじゃないでしょうか。
私は大学卒業後、消化器内科の医師になりました。その後、弘前大学医学部附属病院の病院長を務め、大学の運営にも関わるように。学長に就任したのは2020年4月。新型コロナウイルスが世界中で拡大していた時です。この未知のウイルスによって、この先どれほどの人命が失われるのかと正直怖かったですね。そんな中、第一に考えたのは学生を守ることでした。市内にある全大学の学生にワクチン接種を行い、地域の協力を得て大学食堂の昼食や夕食を100円で提供……と、感染対策の徹底と共に経済的に困窮する学生の支援にも可能な限り努めました。
現在は、主に2つの取り組みに力を入れています。1つは2024年度の文部科学省の「地域中核・特色ある研究大学強化促進事業(J-PEAKS)」採択を受け、心身の健康だけでなく社会や経済、自然などあらゆる領域のWell-being(良い状態)に関する研究の推進。もう1つは、少子高齢化や人口減少の課題に産業界や自治体などと連携して取り組む ことです。その取り組みの中心的役割を本学が担っていきたいと考えています。