• わたしの勉学時代

2022年5月号 わたしの勉学時代 名城大学 学長 小原 章裕先生に聞く

2026年に開学100周年を迎える名城大学は、中部圏で最大規模を誇る文理融合型の総合大学。個性豊かな4つのキャンパスで最先端の教育と研究を展開し、「創造型実学」の授業を通じて中部から世界へ羽ばたく人材の育成に努めています。学長の小原章裕先生は同大学農学部のご出身。卒業後は地元・関西の大学院に進学し、その後、再び名古屋の地に戻り、未来に向かって進化する母校のために力を尽くされています。

【小原 章裕(おはら・あきひろ)】

1958年生まれ。兵庫県姫路市出身。学術博士(神戸大学)。

82年3月名城大学農学部卒業。84年3月神戸大学大学院農学研究科農芸化学専攻修士課程修了、87年3月同大学大学院自然科学研究科資源生物科学専攻博士課程修了。87年大阪青山短期大学専任講師、94年兵庫女子短期大学助教授などを経て、98年名城大学農学部農芸化学科助教授。2007年同大学農学部応用生物化学科准教授、08年同大学農学部応用生物化学科および同大学大学院農学研究科修士課程教授。以降、同大学農学部協議員、農学部長、農学研究科長などを歴任し、19年4月より現職。専門は食品科学。 

幼い頃から秋祭りが大好き

 生まれ育った姫路市の大塩町は、かつては塩業が盛んだった歴史ある町です。幼い頃、家の近くにあった塩田は子どもには格好の遊び場でした。秋には県花のノジギクが満開となり、きれいだったことを思い出します。海水を引き込む水路に貝や小魚などの生き物が生息していて、それらを採集したり、観察したりして遊んでいました。
 播州は伝統的に秋祭りが盛大に行われる土地です。生まれた時から祭り太鼓を耳にして育ったので、毎年10月が近づくとワクワクする気持ちを抑えられませんでした。いざ祭りの本番が始まると、顔見知りの人に「小原の子、1日中おるな」と言われるくらい、朝から晩まで大塩天満宮や、屋台蔵のまわりを駆け回っていました。
 昨年101歳で天寿を全うした父は大学教員で専門は食品科学でした。結果的に私は父と同じ道に進みましたが、もしかしたら何かしらの影響を受けていたのかもしれません。大正生まれの昔気質で、家での教育方針は文武両道。幼い頃から竹刀を与えられ、よく庭先で一緒に剣道の素振りをしました。母はそんな私や弟が怪我をしないように常に気にかけてくれていましたね。勉強のことでとやかく言われたことはなく、いつも自由に遊ばせてくれました。
 
現在の兵庫県西南部。

▲秋祭りでの1枚。お父様と(1歳頃)。

出身中学校でレベルの差が

 5教科の勉強は、小学校でも中学校でも特に苦労した覚えはありません。優秀というより“人並み”に頑張っていたという感じでしょうか。ただ、体育だけはどうしても苦手で……。かけっこは遅く、鉄棒はいくら練習しても逆上がりができず、本当に苦労しました。そんな私でしたが、中学校では剣道部に入部。運動神経がどうとかではなく、幼い頃から竹刀を振っていた親近感で選びました(笑)。これでも有段者ですよ。
 高校は地元の兵庫県立姫路西高等学校に進学しました。入試は中学時代の内申点の成績でほとんど決まる「兵庫方式」と呼ばれるスタイルだったので、高校受験のために参考書や問題集で必死に勉強することはなかったです。スムーズに入学できたものの、入ってからがかなり大変でした。
 高校には、郡部の中学から来る生徒もいれば姫路市の中心部の中学から入学して来る生徒もいます。当時は、科目によっては教材は同じでも中学で教わる内容に多少のばらつきがあって、生徒によって学習したレベルに差がありました。その上、先生は「全員が習い終えている」という前提で授業を進めるため、田舎の中学出身者は面くらうことが度々ありました。特に古典は、文法でとても苦労したことを覚えています。

▲高校では、わずかな期間コーラス部に所属しました。応援団で鍛えた喉の強さに目をとめられ、突然女子部員たちに囲まれて入部するよう説得されました(笑)。

化学を柱に学べる農学部へ

 大学進学は、歯科医を目指していたこともあり、最初は歯学部に絞って入試に挑むつもりでした。しかし、学力や偏差値と照らし合わせると合格できる可能性が高いとはいえず、担任の先生から他の学部も受けるようにすすめられました。
 その中で農学部を選んだ理由は、理科の入試科目が化学と生物だったからです。高校では、学校の方針で物理Ⅰ・Ⅱと化学Ⅰ・Ⅱの授業カリキュラムが組まれていましたが、物理が得意ではありませんでした。また、名城大学の農学部には好きな化学を柱にして学べる農芸化学科があり、さらに神戸に入試の地方会場があったことも受験を決める後押しになりました。
 そしてもうひとつ、名城大学に魅力を感じた大きな理由は、1年次から専門科目を学べたことです。国公立大学は1・2年次が教養課程で、入学して最初の2年間は専門に関係なく基礎科目を広く勉強するところが多かったのですが、名城大学は入学してすぐにいくつかの専門科目を履修することができました。1年次から学びたいことに取り組めるのは大きかったですね。

大学時代に7千ページを完読

 大学入学後は、食品科学を専門に選びました。「これを食べると○○病の予防になる」といった話は昔から伝承として流布していましたが、研究技術の発展で1980年代後半以降、様々なことが科学的な根拠をもって実証されるようになってきました。そんな時代の巡り合わせもあり、食品科学の分野に興味を惹かれました。
 大学院進学を考え始めたのは、学部の勉強を始めて間もない1年次の後期です。この頃は名城大学に限らず、大学院は同じ大学からそのまま進学するのが主流でした。しかし私は地元愛が強く、名古屋の人が中日ドラゴンズを愛するのと同じく阪神タイガースをこよなく愛していますので(笑)、地元に戻って先端的な研究を学ぶために神戸大学の大学院を目指そうと決めました。
 そこで、農学部にあったすべての研究室をまわり、「いろいろな大学の大学院入試に対応できるスタンダードな教科書を教えてください」とお願いしました。すると熱意が伝わったのか、どの教授も寛大な心でそれぞれの専門分野の推薦教材を紹介してくれました。経済的には大打撃でしたがすべて購入し、全教科書のページ数を合計すると、なんと7千ページを超えていました。5回目を通せば覚えられるだろうと考えました。そこで大学院の入試日から逆算し、日割りで1日80ページ勉強すれば完読できるとわかると、さすがに気が遠くなりましたが、何がなんでも読みきることを自らに課し、体調が悪くても1日も欠かさず続けた甲斐があって合格することができました。

自分流ノート作りが役に立つ

 神戸大学大学院では食品に含まれる発がん物質について研究しました。がんは日本人の死亡原因の第1位で、臓器を特定せずがん全体で捉えると、発症の原因は35%が食生活、30%が喫煙、10%が環境によるものというデータがアメリカの研究機関から発表されています。タバコはやめられます。しかし、食事をやめることはできません。つまり食品科学は人の命に関わる学問です。その見地から研究に携わると意欲がどんどんわいてきました。大学院は博士課程まで修め、その後は自らの研究と学生の育成に力を注ごうと大学教員の道に進みました。
 名城大学に戻ったのは、恩師だった教授の定年に伴い、ポストの応募があったからです。実は、母校で教鞭を執れる人はほんのひと握りで、どんなに優秀な研究者でもタイミングが合わなければ希望は叶いません。今思えば運にも恵まれましたね。そして今は名城大学のさらなる飛躍のために、学長として指揮を執っています。2026年に開学100周年を迎える本学は、「中部から世界へ『創造型実学』の名城大学」というスローガンを掲げ、これまで以上にグローバルな視点をもって活躍できる人材の育成に力を入れています。
 これまでを振り返ると、それほど優秀ではなかった私が“学ぶ楽しさ”を実感したのは大学に入ってから。自分専用のノートを作って勉強を始めたことがきっかけです。いわゆる板書用ではなく、先生が話した内容で大事なところを書き留め、帰宅後、講義内容をまだ覚えているうちに教科書に照らして読み返し、さらに別のノートを用意して重要なところをまとめ直しました。こうしたことを中学の頃からやっていれば、授業を何倍も楽しめただろうなと思います。関塾で頑張っている皆さん、自分流のノート作りを工夫して学習すれば、勉強がますますおもしろくなりますよ。

▲地元の秋祭りは私の人間形成に大きく影響しています。何十トンもある神輿(地元では屋台)はみんなが協力しなければ担げません。社会人になって仕事も同じだと実感しました。