• わたしの勉学時代

2020年6月号 わたしの勉学時代 國學院大學学長 針本正行先生に聞く

日本で初めて認可された私立大学のひとつとして、日本文化の究明を使命に、人文・社会科学系の研究と教育の中核を担ってきた國學院大學(東京・渋谷区)。国際社会において日本文化を発信できる人材の育成を目指しています。入試や社会制度の変革を経験し、葛藤しながら進路を選んだという針本正行先生のお話は、変化の激しい現代社会を生きる皆さんとも通じるものがあるでしょう。

【針本 正行(はりもと・まさゆき)】

1951年生まれ。東京都江東区出身。博士(文学)(國學院大學)。

74年3月國學院大學文学部卒。79年3月同大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。昭和女子大学、江戸川女子短期大学(現 江戸川大学)での勤務を経て、96年4月より國學院大學文学部助教授として着任。2000年に教授となり、09年から13年まで文学部長を務める。理事、学長職務代理者、副学長を歴任し、19年4月に学長に就任。現在に至る。専門は平安時代文学。

読書と理系科目が好きだった

 生まれは東京都江東区の亀戸という下町で、産婆さんに取り上げてもらったそうです。子どもが多い時代だったので、内向的な性格だった私も友達にどんどん誘われてベーゴマやメンコで遊んでいました。
 家族は両親と弟2人で、父は印刷機械を作る会社に勤めており、母は専業主婦でした。両親とも旧制高等小学校しか出ておらず、子どもたちには高校、大学を出てほしいという思いが強くあったようで、兄弟全員、書道や算盤、私塾などに通っていました。塾といってもしっかり勉強をするようなところではなく、近所のお兄さんが子どもたちを集めて面倒を見るといった感じで、そこでの友達ともよく遊びましたね。
 小学校の勉強についてはあまり印象に残っておらず、まあできていたのだろうと思います。勉強よりも、とにかく本をよく読んでいたことを覚えています。近所の貸本屋さんに毎日通い、学校を通して販売されていた童話や物語もたくさん買ってもらって、お気に入りの本は繰り返し読んでいました。
 中学校では、数学と理科が好きでした。どちらも公式や法則をただ覚えるのではなく、それらが発見された経緯など背景にあるものを考えさせるような授業でとてもおもしろかったです。数学の先生は正解すると新しい問題集がもらえるという懸賞をされていて、それにも応募しましたね。文系も含めて勉強を苦手と思ったことはありませんでしたが、おそらく本をよく読んでいたことが良かったのでしょう。どの教科でも設問の意図をしっかりと理解することが重要で、それらを読み取る力が無意識のうちに培われていたのだと思います。

▲小学生の頃は音楽が少し苦手だったのですが、高校では吹奏楽部に入りました。最初はトランペットで最後には指揮も担当し、銀座へ洋譜を買いに行ったことも。上手、下手は別として、楽しい思い出ですね。

行きたい学校を選べない制度に

 中学校の成績は良かったのですが、基本的に試験勉強はしないスタイルでした。定期試験に加え、2週間ごとに授業の内容を確認するテストもあり、普段の力を試すものなのにどうして試験勉強をするんだろうと疑問に思っていたんです。試験のために一夜漬けで勉強しても意味はないんじゃないかと感じていましたね。ただその分、普段の授業や教科書の内容は集中して覚えるようにしていました。試験の時は、授業で先生が黒板のあの辺りに書いていた、教科書の欄外の注にあったなどを、映像として認識していて、それを思い出しながら解いていました。受験勉強もそんな調子だったので母が心配し、知人の数学の先生にお願いして、そのお宅へ通わせてもらっていました。
 高校受験は、学区のトップクラスの都立高校である両国高校か墨田川高校を受験するつもりだったのですが、私が受験した年、初めて学校群制度が導入されました。受験科目が9科目から3科目へと減り、第2志望が認められず、不合格になると成績に関係なく都立高校へ進学することはできない仕組みになったのです。私立高校への進学は経済的に厳しく、絶対に落ちるわけにはいかないという状況だったため、最終的に1つ下のランクの群を受験し、小岩高校へと振り分けられ、大きな挫折感を味わいました。
2~3校の高校で群を作り、その中で学力が均等になるように、合格者を本人の希望にかかわらず振り分ける入試制度。東京都では1967年から81年まで実施された。

生涯の友人や 研究テーマとの出会い

 不本意ながら入学した高校でしたが、結果的には大変良かったと思っています。何よりもまず、生涯の友人に出会え、一緒に多くの経験ができました。例えば、夏目漱石の『こころ』など、教科書の掲載作品を実際に通して読むと全く違う印象を受けることを話し合ったり、誘われて文芸誌を作ったりしました。文学に本格的に目覚めるきっかけでもあったかもしれません。
 もうひとつ、生涯の研究テーマとなる『源氏物語』と出会ったのも高校生の時です。当時は学生運動が盛んな時期で、私の高校にも影響がありました。1時間は授業で、1時間は自習と2時間制にして、授業は教科書ではなく先生独自の教材を使うように、と生徒が要望したのです。その中で玉上琢彌著『源氏物語評釈』で古典の授業をされた先生がいました。一般的には恋愛の物語として知られていますが、作品を読み込むと、主人公が様々な女性との関係の中で新しい人間性に気付いていく、人間の本質的な物語だと感じ、不思議と心惹かれました。
 中学の頃は理系が好きで理系に進みたいと思っていましたが、高校受験での挫折により社会のあり方への疑問や反発を抱くようになっていました。高度経済成長期で今と同じように理系の方が重視される社会でしたが、それとは違う形で社会に出たいと考えました。まあ、勉強が難しくなって教科書の内容を映像として思い出すだけでは通用せず、理系クラスだったのに理系科目の成績が全く良くなかったというのもありますが……(笑)。一方で、大学への進学は両親の希望でもあり、子どもの頃から自然と思っていたことでした。それなら『源氏物語』を学びたい、そう担任の先生に相談したら國學院大學を勧められたのです。

▲大学1年の時、大学の近所に住んでいた志賀直哉と会ったことがあるんです。そこで彼の小説を全て読み、城崎など作品内に登場する場所を旅行しました。

最初から本格的な研究活動

 入学して早々に「源氏物語研究会」のサークル勧誘を受け、「我が意を得たり」とばかり、すぐに入会しました。入ってみると、大学院生や助手の方も一緒に活動をしている本格的な研究会で、大変驚きましたね。それまで文法もよく知らずただおもしろいと思って読んでいた作品には、本文の異なるテキストや鎌倉時代から続く先行研究が膨大に存在し、それらを全て調べていく必要があるのだと。いくら時間があっても足りないと感じ、大学の授業よりも研究会での勉強に没頭していました。先輩方から研究には様々な視点があると学べたことも大きかったです。先輩宅には歴史書が並んでいて文学だけではなく歴史も学ぶ必要があると知ったり、春日大社の「春日若宮おん祭」にご奉仕をして神楽や田楽などの芸能に触れたり、そういった経験が今でも私の研究の原点にあります。
 将来は大学院へ進むのが当然という雰囲気の研究会でしたので、私も自然とその道を選びました。しかし、最初に着任した大学では、なんと『枕草子』を教えることに。途方にくれましたが、試行錯誤しながら教える中で、私自身も様々なことを学生から学びました。『源氏物語』研究者というのは、『源氏物語』が最も優れた作品だと考え、先行研究が膨大過ぎることもあって、他作品の研究を疎かにしがちな傾向があるのですが、『枕草子』を教材として扱ったおかげで他作品への関心が深まり、研究の視野を広げることができました。

▲上の弟さんとの思い出の1枚。
▲高校時代は日本の文豪の作品を多く読まれ、中でもすぐ読める短編がおすすめとのこと。

“実感”して、“問い直す力”を

 私が学長として言っているのは“問い直す力”を身に付けてほしいということです。AI(人工知能)が急速に進歩している時代だからこそ、この社会で人間にしかできないこと、人間らしい生き方とは何かということを改めて考え直さなければいけません。
 そして、そのためには“実感”が必要です。例えば、今は何かを調べるのにもインターネットで検索するだけで簡単に情報を手に入れることができますが、図書館に足を運ぶと目当ての本だけではなく様々な本が目に入ってきます。そこで寄り道をして、他の本も手に取ってみてください。「こんな本もあるのか」「どうして自分は最初にこの本がいいと思ったんだろう?」と、素朴な疑問が浮かんでくるでしょう。自分とは違う考えなどを実際に体感することで、自分の考えの根源にあるものを問い直すことができるのです。
 自分について考えることは人間について考えることにつながり、これからの社会で求められるグローバル人材も、この“問い直し”の先にあると思っています。外国の文化は、自分が今まで持っていたものとは全く違うものです。それらに触れることを貴重な体験と捉え、異なる価値観を尊重することができる、そのような人をグローバル人材と呼ぶのではないでしょうか。
 皆さんを取り巻く現在の教育制度は大学入試改革など変化が大きく、かつての私のように悩む人も多いと思います。そんな時は少し寄り道をして、今まで自分がいいと思ってきたことは何か、過去の経験を見つめ直し、問い直してみましょう。その“問い直し”が、これから自分がどうしたいのかという未来を思い描く手助けをしてくれるはずです。