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わたしの勉学時代

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自然の中で伸び伸びと育つ

 私は新潟県生まれです。小学6年生までを五泉市で過ごし、中学からは*1新津市へ 移りました。自然に恵まれた環境で伸び伸びと育ったためか、我ながらなかなか腕白な子どもだったと思います。栗林に忍び込んで、栗をいくつか頂いたこともありました。昔はおおらかなもので、子どもが少しくらい採っていくことは、大人のほうでもある程度は承知していたものです。もちろん見つかればひどく怒られましたし、本当はいけないことなのですよ(笑)。
新津といえば「鉄道の町」で、父も国鉄(現在のJR)の職員でした。*2新津工場に勤務し、鉄道車両の製造に携わっていました。新津では首都圏を走る鉄道車両の製造を請け負っていて、JR山手線を走っている車両も製造しています。夏休みの家族旅行では、鉄道を利用して山形県や福島県などへ行ったことも良い思い出です。
私たちが子どもの頃は、歳の違う子どもたちが集まって遊ぶことは珍しくありませ んでした。今ではあまり見かけない光景かもしれませんね。小学4年生頃になると、体も育ってくるので、年上に混ざって野球ができるようになりました。当時の少年たちは、ほとんどが野球をしていましたね。そうはいっても、道具を揃えることができなかったので、木を削った手作りのバットを使い、軟式のテニスボールを投げていました。グローブはありませんでしたが、軟らかいボールを捕るのは素手でも十分でした。物が無いなりに工夫をして、楽しく遊んでいたものです。

*1 2005年に新潟市へ編入合併。 *2 現在は株式会社総合車両製作所の新津事業所。

 

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「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉が流行ったほど、当時は巨人ファンが多かったと思います。私も長嶋選手が大好きでした。

「理科が楽しい!」環境

 勉強については、子どもの頃から理系科目が得意でした。文系科目が苦手だったこともあり、漠然とではありますが、将来進む分野はわりと早くから見えていたように思います。解答がピシリと導き出せるところが、理系科目の魅力の一つですね。
中学1年生の理科の授業が面白かったことも、得意科目を伸ばすきっかけになりました。担当の先生が話し上手で、ざっくばらんな語り口調で理科への興味を引き出してくれたことを覚えています。理科好きな友人がいたことも大きかったですね。「湯を沸かす際に出る気泡は、どこまでが水中に溶け込んでいた空気が出てきたもので、 どこから気化になるのか?」というテーマで議論を戦わせたこともあります。楽しかったですね。私は中学校の野球部に入っていましたが、その友人が科学部に入っていたので、しばしば実験をさせてもらっていました。硝酸銀を使ってメダルにメッキをかけてみるなど、好き勝手なことをしていたものです(笑)。「理科が楽しい!」と思える出会いがあったことが、私にとって幸運でした。

また、中学3年の時のクラス担任は、技術科のベテラン先生でした。授業では生徒の自主性を重んじてくれましたし、学校行事では率先してクラスを盛り上げてくださいました。叱られた時も、こちらのどこが悪かったのかわかる、筋の通った叱り方をされる先生でした。進路相談で頼っていたクラスメイトも多かったと思います。高校受験を控えた年に、チームワーク抜群のクラスで過ごせたことは嬉しかったですね。

     
     
     

生徒を尊重してくれた恩師

 野球は、新潟県立新津高等学校に進学後も続けました。野球部の練習は大変で、自主学習に十分な時間を割けなかったことは悩みでしたね。夜、練習から帰った後は疲労が溜まっているので、英単語の予習だけで精一杯だったことを覚えています。特に大変だったのはテスト勉強です。中学時代までは何とかやっていたものの、高校生になると教科に優先順位ができてしまいました。暗記教科はほぼ後回しになるので、当然ながら散々な結果でした。
高校1年生の数学の定期考査で、印象深い出来事がありました。テスト勉強が間に合わなかったところに、まったく復習していなかった問題が出たのです。教科書の解き方がわからなかったので、その場で考えて答えを導き出しました。後で、答えは合っていたけれど教科書にある解法と違っていたことに気付き、「点はもらえないかもしれない」と思ったのですが、数学の先生は私の解法に点数をくださったのです。 その先生は大変聡明な方で、どんな質問にも的確に答えてくだり、いつも「すごいなあ」と尊敬していました。
高校の生物の先生も好きでしたね。学びに対して真摯だったことをよく覚えています。トンボのような複眼は、以前の教科書には「モザイクのように一つの小さな目は部分を写し、全体で一つの映像になっている」と説明されていました。ちょうどその部分を授業で学習する直前、「複眼は小さな目の一つひとつで全体像を写している」新事実が発見されたのです。私はそのことが書かれた新聞記事を読んでいたので、授業で「複眼はそれぞれが全体像を写していると新聞で読みました」と反論しました。 先生は「教科書には載っていないことだから」と一度は否定されたのですが、後日その真偽を確かめられ「君の言う通りだった」 と認めてくださいました。
このように、教科書にあることだけを重視するのではなく、生徒の努力や考えを尊重して向き合ってくださる先生方との出会いは、私にとって大いにプラスになりました。

 

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コンピュータが話題になったのは高校生の頃でした。「これからはコンピュータが小型化される」と新聞記事などで見た記憶があります。

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高校時代(写真右・手前)と、大学時代
(写真左・手前中央)の川崎先生。

     
     

大学で何を学びたいか

 高校時代、勉強に優先順位をつけ始めたため、教科ごとの学力に差が出るようになってしまいました。「幅広い科目が課せられる国立大学に合格する力はないな」という自覚もありました。そこで私立大学を受験することにしました。
大学を決めるにあたり、まずは「何を学びたいか」を考えました。ちょうど高校時代に「これからはコンピュータの時代だ」という風潮があり、面白そうだと感じていました。それならば、コンピュータに関係する分野、電気工学が良いだろうと考えました。それで早稲田大学の理工学部を選んだのです。
大学の授業は実験が多く、どれも興味深 いものでした。週に一度は実験をしていた授業では、入念な準備やデータの整理、レポートのまとめなども必要で忙しかったで す。しかも、実験器具は複数のグループが使うので、順番が回ってきた時は正確なデータを得ようと必死でしたね。当時の新技術だった立体的に見えるホログラムを使った実験など、興味深いものがたくさんありました。
研究者時代に印象に残っていることは “ひらめきの瞬間”でしょうか。私は理論をやっていたので、数学のように考えることが主な作業でした。行き詰ることがあれば、 「どうしようか」と四六時中考えていたものです。ある時、シミュレーションで出た結果について理論的に証明できないことがありました。布団に入ってからもずっと考え 続けていたのですが、そこで突然、証明の方法をひらめいたのです。寝る瞬間というのは、脳や体が緊張から解放されるので、ひらめきにつながったのでしょうね。それまで諦めずに考え続けていたというのも、大きかったと思います。

     
     

自信と相手を思いやる心

 コンピュータは今でも進化を続けています。センサーの多様化、モーターの小型化も進み、様々な分野の開発を支えています。人工知能も大いに可能性を秘めていますね。皆さんが大人になる頃には、あらゆる分野で、世界の国々を相手にテクノロジーで勝負する時代になっていることでしょう。
そんなテクノロジーの時代を担っていく皆さんには、ぜひ“自信が持てること”を得てほしいと思います。勉強、部活動、趣味を問わず、「これだけは誰にも負けない!」ことを一つでいいので持ってください。それから、他人の話をよく聞きましょう。話を聞くという行為は、相手のことを思いやる心がなければ難しいものです。議論をす る時でも、まずは互いの主張を聞き、その上で同意したり反論したりすれば、誤解が生じることもまずないと思います。この2点を心に留め、たくさん学んで、好奇心をどんどん育ててください!

「学びのひろば」

  川崎先生は、インタビューの中で「教員は、子どもたちの興味のきっかけを引き出すプロフェッショナル」であると教えてくださいました。上越教育大学では、そのプロフェッショナルを育てるために様々なサポートを用意しています。中でも特徴的なのは、近隣の小学校に通う子どもたちを大学や国立妙高青少年自然の家(妙高市)に招いて活動する「学びのひろ ば」です。年に7~8回程度、レクリエーションや野外活動や工作、運動などを通して子どもたちへの理解を深め、教員としての実践力を養ないます。企画から運営まで、すべて学生自身の手によって行われるので、多様な意見を受け止め、理解する力を養うことができます。教育実習とは違った切り口で子どもと向き合う経験は、きっと将来の糧になりますね!


 

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活動を通して、学生たちは「教員になる!」という
強い思いを抱くようになります。

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